市指定史跡 荒尾家墓所 附 荒尾家位牌

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市指定史跡 荒尾家墓所 附 荒尾家位牌

荒尾家墓所 附 荒尾家位牌(あらおけぼしょ つけたり あらおけいはい)

黄檗宗(おうばくしゅう)の祥光山了春寺(りょうしゅんじ)は、鳥取藩主席家老であった米子荒尾氏の菩提寺です。江戸幕府は池田光仲(いけだみつなか)が鳥取城主となった際、荒尾成利(あらおなりとし)を米子城預かりとするよう命じました。その後、代々荒尾氏が米子城主として実質的に米子を治めていました。
了春寺は、中海の亀島(現湊山公園内)にありましたが、宝永年間(1704~11)に現在の場所に移されました。寺の北側に荒尾家歴代の墓と家臣の献灯(けんとう)があります。成利の墓碑は鳥取市の興禅寺(こうぜんじ)裏山にあり、了春寺には墓域のみが設けられています。2代成直以降の歴代米子城主の荒尾家の墓碑が建ち並んでいます。
 2代成直(祥光院殿)、3代成重(了春院殿)、4代成倫(本源院殿)、5代成昭(英智院殿)、6代成昌(後徳院殿)、7代成照(聴徳院殿)、8代成尚(謙徳院殿)、9代成緒(泰智院殿)、11代成富(在原朝臣荒尾成富)、12代成文(在原朝臣荒尾成富)、13代之茂(松柏院殿)の各碑です。また寺には荒尾家の位牌もまつられています。

掲載日:2022年1月12日