市指定無形文化財 淀江傘製造技術

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市指定無形文化財 淀江傘製造技術

淀江傘製造技術(よどえかさせいぞうぎじゅつ)

淀江傘の起こりは、文政4年(1821)に倉吉から淀江に来た倉吉屋周蔵が傘屋を開いたことによるといわれています。明治14年(1881)に津山の西金蔵が傘製造の指導に招かれたのが契機となり、淀江傘の製作は飛躍的に発展しました。大正時代になると製造業者71軒、年間生産量は17万本にも達し、県内はもとより、西日本一帯に出荷されました。仕上げの際、傘を干すための広い砂浜があること、材料の竹が入手しやすいなどの条件も重なり、淀江を代表とする産業となりました。

戦後、洋傘が普及し、昭和26年(1951)頃をピークに次第に生産量、生産者ともに減少していきました。昭和59年(1984)には最後の製造者、田中軍司氏が廃業しましたが、技術は淀江傘伝承の会に引き継がれ、現在では3人の職人によって製造が続けられています。

また、淀江傘はインテリア用としても注目され、需要が高まっており、全国に淀江傘が送り出されています。

掲載日:2022年7月22日