市指定有形文化財 米子城鯱

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市指定有形文化財 米子城鯱

米子城鯱(よなごじょうしゃち)

米子城の四重櫓に関わる5基の鯱です。内2基は幕末の修理以前に乗っていたもので、他の3基は新しく嘉永5年(1852)以降に作られものです。江戸時代後期に米子城の四重櫓の傷みがひどくなり、藩の命令で米子の富豪、鹿島本家・分家が全額費用を肩代わりして、石垣を含めた解体修理が行なわれました。その功労に対して、藩主から旧来の四重櫓に飾られていた鯱を下贈されたものが鹿島家に伝来されてきました。

他の3基のうちの2基は、修理後の四重櫓に乗せられていたもので、明治維新後に米子城が家臣の新国隊に払い下げられました。この新国隊編成の責任者であった伊吹市太郎が初代の義方小学校長に任じられて、校舎の屋根に飾ろうともらい受けたものです。以後、義方小学校で大切に保管されています。

残りの1基は四重櫓改築の試作品と伝えられ、「嘉永五壬子月日 十代目 松原仁左衛門作之」と刻まれています。米子城の歴史を物語る鯱として大切なものです。

分家鹿島家所蔵

米子市立山陰歴史館所蔵

掲載日:2021年2月9日