市指定有形文化財 米子市役所旧館

本文にジャンプします
メニュー
市指定有形文化財 米子市役所旧館

米子市役所旧館(よなごしやくしょきゅうかん)

大正6年(1917)に建てられていた木造の市役所(旧米子町役場)が火事で焼失したため、昭和5年(1930)に建築された建物です。当時米子市は人口3万人でしたが、将来の人口を10万人と想定して計画された本格的な市役所庁舎として建てられました。
設計は当時の庁舎設計の第一人者の佐藤功一で、日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計者としても知られています。建物は近世ルネッサンス様式の鉄筋コンクリート3階建です。平面は鍵の手形ですが、正面から見ると左右対称の構成となっています。中央には車寄せがつけられ、上がバルコニーになっています。外壁は1階が人造石に目地をいれ、2、3階が赤レンガ色の硬質スクラッチタイル張りでどっしりした外観となっています。窓は当初はスチール製の左右開きの窓でしたが、上げ下げ窓に変えられています。内部もかなり変わっていますが、3階の貴賓室は当初の状態がよく残されています。また、この建物が建っている土地は地盤が非常に軟弱なため、筏基礎という地中に四角の船状の基礎をつくって地震に対して強い構造となるように工夫がほどこされています。
市内に現存する昭和初期の鉄筋コンクリート建築としては、建築規模が大きく、技術的にも優れたものです。

昭和57年(1982)まで、市役所として使われ、市役所新築移転は米子市立山陰歴史館として利用されています。







掲載日:2021年2月1日