横田内膳墓碑及び遺品(よこたないぜんぼひおよびいひん)
横田内膳正村詮は米子城主・中村一忠の家老で禄高6千石を受け、米子城と城下18町と呼ばれる町並みを完成させた功労者でした。村詮は一忠の父一氏の妹を妻にしたことから、一氏の死後は一忠を後見し、政治の実権を握っていきました。
慶長6年(1601)に駿府から米子へ移封された一忠に従い、米子の町づくり、伯耆一円の政策に腕を振るいました。
しかし、若い一忠側近のねたみを受け、慶長8年(1603)11月、城中で誅殺されました。そのため城内は騒然となり、横田一族は一忠に戦いを挑んだが、敗れて一族は自刃、滅亡しました。横田騒動とか米子城騒動とかいわれています。
村詮の遺骸は初め感応寺に預けられましたが、ゆかりの深い妙興寺に移されて葬られました。
妙興寺には横田内膳正村詮の画像と遺品の木杯が所蔵されています。
掲載日:2021年2月1日