尚徳地区のセントロ・マントロ(しょうとくちくのせんとろ・まんとろ)
米子市南部の法勝寺川流域の尚徳地区では、7月にセントロ・マントロと呼ばれる祭りが行なわれます。セントロ・マントロとは「千灯籠・万灯籠」の訛った呼称で、青木・大袋集落などでは秋葉社、大谷集落では愛宕社の火伏のための火祭りとして行なわれます。さらに兼久集落では船上社の疫病封じの神力を願って行なわれます。7月に実施されることから、田の害虫を駆除する虫送りの意味も込められていると考えられます。
祭りの詳細は集落によって異なりますが、僧侶や神職が祈祷した後に神前の火をもらい受けて水田周りや川堤に立てられた多くの竹灯籠に点火することと、子供が祭りの主体であったことが共通しています。灯籠は、竹筒に麦藁や稲藁、布を詰めて灯油を振りかけたもので、集落ごとに100~200本が立てられます。
各社には江戸時代後期および末期の石灯籠が奉献されていることから、これらの神々は江戸時代には勧請されていたと思われます。また、祠に納められているお札は安政5(1858)年を最古として、明治時代のものが多くみられます。少なくとも江戸時代後期から明治時代には行なわれていたと考えられます。
尚徳地区のセントロ・マントロは、秋葉社、愛宕社、船上社の信仰に基づく火祭りが、同じような時期に行なわれるという点に特徴があり、互いに影響しあって伝承されてきたと考えられます。夕闇の中に火の帯が浮かび上がる幻想的な光景は夏の風物詩となっています。
掲載日:2024年8月19日