市指定有形文化財 石馬顕彰碑

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市指定有形文化財 石馬顕彰碑

石馬顕彰碑(いしうまけんしょうひ)

明治36年(1903)に天神垣(あめのかみがき)神社境内に建立された石馬顕彰碑です。明治34年(1901)に東京帝国大学人類学教室の坪井正五郎博士を西伯郡教育会が招聘して講習会を催した際に、石馬の学術的重要性が指摘されました。この発見をきっかけに、地元有志からなる石馬保存会により、明治36年に保存施設としての覆屋建設とあわせて当該石碑が建立されました。石馬は昭和10年(1935)に国重要美術品、昭和34年(1959)に国重要文化財に指定されています。後に収蔵庫の建設に伴い覆屋は撤去されましたが、石碑は石馬保存の記念として現在、収蔵庫前に保存されています。径90cmの円形で、表面に石馬の由来と覆屋建設の経緯について、足立正(後の山陰歴史館館長)による撰文を刻んでいます。裏面には「石馬保存會寄附金人名」として、石馬の学術的価値を発見した坪井正五郎を筆頭に48名の名前と寄付金額を記しています。石材は来待石(きまちいし)であり、直方体の台石に柄鏡(えかがみ)状にはめ込まれています。足立正・倉光清六ら地元の研究者の活躍により淀江は山陰における考古学研究の先進地となり、今日に至るまで史跡等が集中する地域として知られるようになりました。この石碑は、その端緒となった石馬発見の顛末と地域による文化財保存の取組みを物語る重要な歴史資料といえます。
石馬顕彰碑
法 量(寸法):径90cm、厚さ24cm

掲載日:2022年2月4日