芋代官碑(いもだいかんひ)
江戸時代の石見国の大森銀山の代官、井戸平左衛門正明の徳をたたえる石碑です。平左衛門は飢饉のとき役所の米蔵を開き領民に与えたこと、薩摩国よりさつま芋の種芋を取り寄せ領内に普及させたなどの善政を行ない芋代官と親しまれています。幕府が青木昆陽に命じ、さつま芋を全国に普及させる3年も前の事でした。
弓浜地方にさつま芋が伝わったのは、石見国に伝わってから50年ほど後の安永9年(1780)ころと伝えられます。境村の庄屋・黒見幸次郎が石見国静間村の船頭・甚左衛門に頼んで種芋を手に入れたといわれます。
さつま芋は砂地の畑でもよく育ち、水田の少ない弓浜地方の農民にとって大切な食糧となりました。そのため、井戸平左衛門の高徳をたたえる碑が弓浜地方に11基も建てられています。芋神さん、芋塚さん、芋地蔵さんなどとも呼ばれる石碑は、米子市内では夜見の迎接院、富益の富益神社、和田の雲泉寺、葭津の任宗寺の4箇所の境内にあり、大切にまつられています。
夜見の芋代官碑 富益の芋代官碑
和田の芋代官碑 葭津の芋代官碑
掲載日:2021年2月9日