県指定名勝 心光寺庭園

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県指定名勝 心光寺庭園

心光寺庭園(しんこうじていえん)

米子の城下町は、中世末から近世にかけて整備されました。寺町(てらまち)は、米子城の北側に所在する小高い砂丘列上につくられた町です。一枚の壁のように東西に並ぶ寺院群は、江戸時代初期に、米子城の北側を守る陣地として意図的に配置されたようです。その寺町の一角に位置する心光寺は、当初、尾高村にありましたが、米子城主・中村一忠(なかむらかずただ)の浄財(じょうざい)によって、慶長年間(1596~1615)に現在の地に移ってきたといわれます。

庭園は庫裏(くり)の北側にある池庭で、寺伝によると、天保年間(1830~1844)に庫裏が再建された際に造られたといわれています。池は湧き水によるもので、「心」の字の形に造られています。池の左右から伸びる岬は、それぞれ鶴と亀をかたどっているようです。来待石(きまちいし)を用いた護岸の石組みは、車尾の深田氏庭園との共通性が感じられます。

小規模な庭園でありながら、江戸時代の寺院庭園の様子をよく伝えています。

心光寺庭園

掲載日:2022年1月12日