マークのある画像をクリックすると、新しいウィンドウで大きな画像が開きます。
西伯耆の拠点的な城であった米子城は、山陰で最初に築かれた近世初期の城郭です。 天守のあった標高90メートルの湊山は、北側に丸山、東側に飯山、さらに南西側には中海という天然の要衝を擁する地で、この城山を内堀で囲み、さらに外郭に武家屋敷を配し、外堀を巡らせるという、典型的な平山城の特色を備えていました。
湊山頂上には、四層五重の天守閣と四重櫓という大小2つの天守が、華麗に連なっていました。 江戸時代に発布された「一国一城令」の下、例外として存続を許された「支城」と呼ばれる城のなかで、このような天守をそなえたものは全国でも稀です。 城の建物は、ほとんど姿を変えることなく、明治にいたるまでその偉容を誇りました。
その城の建物は残っていませんが、石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめ、その構造を知ることができる城跡として重要です。また、米子城に関する文献・絵図資料なども数多く、良好な状態で伝えられています。 そのため、平成18年1月26日、米子城跡は国史跡に指定されました。
【写真:城山上空から米子市街・大山を望む】
現在、内堀から内部は、飯山と湊山の一部を除き、「湊山公園」となっています。 また、城山一帯には、市街地に残る数少ない貴重な自然が保護されており、多くの動植物に接することができます。 城山はウォーキングコースとしても市民に親しまれ、ふもとから約15分の頂上から望む大山、日本海、島根半島、中海は絶景です。
米子城跡に関するさまざまな情報は次のリンクから … もっと知りたい!米子城 【参考資料】
米子城跡リーフレット ( 1.60メガバイト) 米子城パンフレット ( 3.98メガバイト)