坂口家住宅主屋(さかぐちけじゅうたくしゅおく)、離れ及び渡り廊下(はなれおよびわたりろうか)、土間倉(どまくら)、土蔵(どぞう)、門及び塀(もんおよびへい)
坂口家は、江戸時代に米子で木綿問屋を生業とした豪商です。明治時代に坂口本家から分家し、尾高町の天神橋のたもとに坂口家住宅が建てられました。
坂口家住宅は、東西16m、南北45mの奥行の典型的な深い短冊形の敷地を持ち、敷地の周囲に建物を建て、中央には庭が造られています。 北側の道路に面して店舗、西側の道路に接して切妻造(きりづまづくり)2階建の主屋、離れ及び渡り廊下などが並び、南側の加茂川(外堀)沿いには土蔵が配置されています。
主屋は、敷地の西北角に建っています。町家の外観を呈していますが、屋内に通り土間ではなく畳廊下を持つなど、伝統的な町屋や民家には見られない独特の意匠が施されています。また、面皮(めんかわ)杉の長押(なげし)や欄間(らんま)、擂漆塗(すりうるしぬり)の床の間や付書院(つけしょいん)など、瀟洒(しょうしゃ)で繊細な造作が随所に用いられています。
離れは、主屋から渡り廊下を介してつながっています。木造平屋で、西面は外塀を兼ねており、伝統的な通りのたたずまいを残しています。
土間倉は、敷地の中ほどに建っています。南半部に土間の納屋、北半部に床や棹縁天井(さおぶちてんじょう)を張る部屋を設けており、部屋の下には地下室があります。
土蔵は、敷地の南端に建っています。東西棟の切妻造桟瓦葺の土蔵造2階建で、北正面は腰高の海鼠壁(なまこかべ)となっています。旧外堀側に高い竪板、2階と1階に庇(ひさし)付窓を設けており、土蔵が建ち並ぶ旧外堀沿いの景観の一角をなしています。
門と塀は、北側の道路に面しており、主屋と連続して設けられています。
米子城下の物資運搬の要であった旧外堀沿いの当家のたたずまいは、明治・大正期における米子の上級商家の趣向と気風をよく伝えています。
(内部非公開)
掲載日:2022年3月14日