国登録有形文化財 旧米子市水源地旧ポンプ室、記念碑、水神社

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国登録有形文化財 旧米子市水源地旧ポンプ室、記念碑、水神社

旧米子市水源地旧ポンプ室(きゅうよなごしすいげんちきゅうぽんぷしつ)、記念碑(きねんひ)、水神社(みずじんじゃ)

 旧米子市水源地旧ポンプ室

旧米子市水源地旧ポンプ室

米子市の上水道は大正15年(1926)に一般給水を開始しました。伏流水が豊富で、飲料水には恵まれた環境にありましたが、明治以降の人口の増加で水質が悪化し住民の間で上下水道を望む声が強くなりました。大正11年(1922)に西尾常彦(にしおつねひこ)が米子町長に就任し、水道建設のための調査が開始されました。その結果、水源地として法勝寺川と日野川の合流地点である車尾を選定しました。大正14年(1925)3月に起工、大正15年に完工し同年4月1日から給水を開始しました。現在、水道記念館となっている旧ポンプ室は、田中浅次郎の施工により大正15年6月に竣工しました。昭和45年(1970)頃に現役を引退し、昭和62年(1987)に水道記念館として再生しました。

旧ポンプ室は鉄筋コンクリート造・平屋建で、ポンプ室を中心に、東側に入口を兼ねた塔屋を、西側に正六角形を半分に割った形の突出部がつき、半円アーチ窓、半六角形の突出部の造形はロマネスク風のモダンな雰囲気を醸し出しています。

本館から池を挟んで建つ記念碑は、伊藤正文の設計です。伊藤は早稲田大学で、米子市庁舎を設計した佐藤功一(さとうこういち)に学んだ人物です。塔状の記念碑は、花崗岩を貼り合わせた鉄筋コンクリート造で、四面にアーチの装飾をほどこした矩形の土台に円筒をのせ、相輪状の円盤を先端に重ね、さらに円筒を6片の石材が花弁状にとり巻くロマンチックな造形をまとめたものといえます。アーチ部分の扁額には第25代内閣総理大臣若槻禮次郎をはじめ、水道事業に携わった人びとが名を連ねます。

また、敷地内には、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の水神社 (昭和16年(1941)建立)があります。導水15周年を記念し、水源地構内の北西、ポンプ室の奥脇に建設された神社で、高い基壇の上に建ち、身舎(もや)のせいが高く、深い軒で屋根が強調されるなど小規模ながら存在感を持つ神社です。

 旧米子市水源地記念碑

記念碑

 旧米子市水源地水神社

水神社

掲載日:2022年1月17日