米子城には中海の水を引き込んだ、内堀と外堀の二つの水堀がありました。内堀は内膳丸北側の三の丸から飯山、深浦郭をめぐる堀で、城内と城下町を区画するものです。内堀には、表御門と裏御門の2か所に橋がかけられていました。この内堀は表御門付近で幅16間半(約33m)あり、中海との開口部には船溜まりが設けられていました。
内堀は明治時代から埋め立てられ始め、昭和40年代までにすべて埋められています。

伯耆国米子平図〔宝永6(1709)年〕
詳細な絵図によると内堀石垣は二段になっており、令和元年(2019年)の発掘調査では三の丸側において内堀石垣が確認されました。発掘された石垣は一段目と考えられます。
米子御城平面図(江戸末期 米子市立山陰歴史館蔵) 内堀石垣が二段になっているのが確認できる

発掘調査にて確認された内堀石垣(一段目)
掲載日:2024年12月12日