「米子御城平面図」(江戸末期)によれば、三の丸には中央の斗場(はかりば)※を囲むように6~7棟の米蔵が建てられていました。建物は3間×15間(約6m×30m)程で、幅1間(約2m)程の雨よけの長庇(ながひさし)がついています。

「米子御城平面図」(米子市立山陰歴史館蔵) ※画像をクリックすると別ウインドウで開きます。
令和2年(2020年)の発掘調査の結果、絵図と同じく大型の石を水平に敷きならべた米蔵の基礎と長庇の柱跡が確認されました。建物基礎は溝を掘って中に石を詰めて突き固め、上面に一辺65cm~130cm程の大型の平らな石を一直線に敷並べています。また、瓦が出土しており、東伯郡湯梨浜町橋津に現存する藩倉(鳥取県保護文化財)のような、瓦葺・土蔵造であったと思われます。

発掘調査写真 橋津藩倉・古御蔵(湯梨浜町教育委員会提供)
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斗場(はかりば):計家。年貢米を計量したり、品質をチェックする所。蔵に確実に納めるまでを監視するため、米蔵が見渡せる場所に建てられています。
掲載日:2024年12月11日