やな井の水
冷たい水が恋しい季節になりました。今月は水の話。水物の話ではありません。
米子には名物が数々ありましょうが、その中の一つに「うまい水」も入ると思います。大都会から帰った時などにはそれを痛感します。米子の水は日野川、法勝寺川水系の地下水と大山の伏流水を汲み上げていると聞きました。
その大山の『大山寺縁起』に、こんな話が書かれています。
…神亀5年(728)のこと。有名な僧の行基は大山で昼夜七日間の修行をしたが、仏に供える水が近くにないので、僧は「水をたれ給へ」と祈念して金剛杵で近くの岩を突いたところ水が僧の「御手の下より露しただりて、ほどなく器に満ちにけり。 それよりこのかた尽くる事なく」あふれ出るようになった…
と大山の利生水(井戸)の起源を説いています。続けて『縁起』は、この水のお蔭で白髪が黒くなり病人も治ったと書き、大山の水は延命長寿の水であることを説いています。
その有難い大山の伏流水のおかげか、米子には名水のわき出る井戸がありました。
有名なのは法城寺前の連理水・加茂神社の宮水・米子城の鈴の井戸と桂住寺入口にあるやな井です。
やな井には、こんな話が伝えられています。
…昔、ある人が町を歩いていたところ、地面に深く一本の矢がつっ立っているのを見つけた。その人は力をふり絞って、やっこらさと矢を引き抜いた。ところが抜いた跡からこんこんと清水がわき出てきた。そこで、ここを掘り広げて井戸とした。だからこの井戸を矢孔井というのだそうな…
弘法大師が水がなくて困っている土地で、杖を突いて水のありかを教えられた、いわゆる「弘法水」の伝説や、先の行基の利生水のような伝説はよく聞きますが、だれが射たかもわからない矢を抜いて名水井戸を発見した話は珍しい話です。
ともあれ、かつての山陰道の道端にある矢孔井の水を、聖水として仏前に供したり、酒造りの水として汲んだり、一杯いくらで売らんがため、井の前の狭い道に水桶を積んだ大八車がひしめいた昔があった、ということです。
現在は飲めません。今は昔の話です。
柱住寺入口にある「やな井」
平成12年8月号掲載
掲載日:2011年3月18日