河童と赤子岩

本文にジャンプします
メニュー
河童と赤子岩
 河童(かっぱ)赤子岩(あかごいわ)

昔は旧暦6月15日をレンゲとか茗荷ノ釜焼キといって、えんどう豆を餡にした小麦団子を作って、茗荷の葉に包んで焼き、それを神棚に供えた後、家族で食べたものでした。「いつも変わらぬレンゲの茶の子、小麦団子に豌豆の粉」でした。この日は一日中仕事を休む日、特に川には入れない日でした。もし入ると河童に尻ごを抜かれる、といわれました。
これはその河童に尻ごを抜かれた話です。

…ある夏の日のこと。陰田の漁師さんが魚と一緒に網にかかった子河童を取って帰り、家のやんちゃ子にやった。子どもは生きたおもちゃに大喜びで、さんざん連れ回っていじめ、夜は海辺の岩に縛っておいた。
その様子を親河童は心配そうにこっそり見守っとったが、子河童の頭の皿の水が干上がるとみた夜、親河童は岩に縛られている子河童を必死の思いで助け出し、海に運れ戻した。
それから数日後のこと。漁師がいつものように静かな海に船を出して漁をしかけたら、一瞬の間に嵐になり船は木の葉のように揺れだした。命からがらで漕ぎ帰る途中で漁師が見たものは、荒波の向こうに浮かぶ河童親子の恨めし気な姿だった。
やっとの思いで家に帰ってみると子どもが居らん。聞くと「アリャ、さっきあんたが連れ出したがな」とおかあがいう。慌てて捜しに海辺に出てみると、子どもは河童を縛っとった岩の上で尻ごをを抜かれて気絶しとった。
その夜以来漁師は怖くて漁に出れんようになっとったが、ある夜ふっと姿を消した。慌てた家の者が海岸を捜すと、何と親父も尻ごを抜かれて海で溺れかけとる。急いで引き上げ、水を吐かせ、大騒ぎしとる時に、旅の僧が通りかかって「何の騒ぎだ。」と聞くので、 実は…と話すと、僧は「そりゃあ河童親子の怨霊だ。 わしが祈祷して払ったる。」 といって、河童を縛っとった岩を清めてから、岩に小屋がけさせた。それから岩に何か刻んどったが、数日後、小屋を取り払ってみたら、岩に赤児の足跡が点々と刻まれとった。僧は「これでもう河童は悪いことはすまい」といって旅だったそうな…

この岩は赤児岩といって今は口陰田公民館の前庭にあります。(この岩には、もう一つ別の話も伝えられています)
20日は海の日。河童に尻ごを抜かれぬようご用心。


口陰田公民館前庭にある赤児岩

平成12年7月号掲載

前のおはなしへ 次のおはなしへ
掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。