前地のナナフロニョウバ

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前地のナナフロニョウバ
前地のナナフロニョウバ(七尋女房)

「秋の日は釣るべ落とし」と言いますが、ほんに早うに日が沈みます。昔の子どもは家の手伝いもようしましたが、遊ぶのもよう遊びました。夏の気分で遊んどるとアッという間に日が暮れてしまって。それでも遊びほうけとると「暗うなってまで遊ぶもんじゃあない」というて親にようしかられたもんです。そんな時に聞かされる話が、前地の「ナナフロニョウバ」の話でした。

前地(東福原)の薬師さん(薬師堂)の傍らには、大の男が3人も手を広げてやっと抱えられるほどの大きな古い松の木がありました。木の根の所がうろ(ほら穴)になっていて、かくれんぼなどにはいい場所でした。それが戦後になってから子どもの火遊びが元で、まるで煙突のように燃え上がり、焼け落ちてしまいました。実に立派な松の木でした。
この薬師さんの松の木には、晩方になるとナナフロニョウバいうて、両手を広げて7回手繰るほどの長さのある背の高い女の人が、着物をゾロッと着て、そげしてこの松の木のてっぺんにチョイと座って、暗くなってからここを通りかかる人に「ヘッヘッヘヘ」と薄気味悪い声で笑いかけたり、長い白い手を伸ばして、通る人の肩に手を掛けてからかったりして、ほんにまあ恐とい場所だ、と聞かされとりまして、それで暗くなりかけても遊んどると「ナナフロニョウバにかまわれるぞ」って恐とがらせられたもんです。だけえ晩方になると、あの辺を通る人はおりましせんでした。

私らの子どもの頃は、夜はほんに真っ暗でしたし、晩方外に出て急に居らんようになって、神かくしに逢う、とか、人さらいにさらわれてしまう、というような事が本当にある、と信じられていた時代でしたけえ、ナナフロニョウバも半分は信じとりましたけえなあ。夜は魔物の活動する時で、人は家にいるもの。 明るい時だけが人間の活動する時だ、と考えていたように思います。だけえ、どっちつかずの夕方は、魔物にも出会う時として恐れていたように思います。それ、夕方を「逢魔が時」ともいうでしょうが。そういえば、交通事故も夕方が多いそうで。 魔に逢わんようにご用心。


薬師さん(東福原3丁目)のそばに、大きな松の木があった。

平成9年11月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。