宇気 ・
河口神社の七夕祭り
…昔、天女が天から降りて水浴びをしていたら、そこに村の若者が通りかかり、天女の羽衣を持って帰り、隠した。
天女は羽衣がないので天に昇れず、しかたなくその男と結婚し、子どももできた。ある日、彼女は男が稲束の下に隠しとった羽衣をみつけ、それを着て天に帰ってしまった。
(倉吉では、天に帰った母を慕って子が山上で太鼓を打ち笛を吹いた、その山が打吹山。羽衣を置いた所が羽衣石山の羽衣岩。と語られます。)
天女は天に帰る時、夕顔の種を残して帰ったので男はそれを播いたところ、蔓は天まで伸びた。男は蔓を昇って彼女と再会し喜んだが、彼女の父からは「竹篭で水を汲め」などいろいろ難題を出された。
これを天女の助言で切り抜け、最後に「瓜畑の番をしながら瓜を割れ」と言われた。彼女は、瓜を割る時は横に割るように、よくよく教えたが男はうっかり縦に割ってしまった。
すると瓜の中から大水が出て川になり、2人は川の両岸に分けられてしまった。そこで彼女は大声で「7日・7日に会いましょう」と言ったのを、こなどじ男が7月7日と聞き違えたために1年に1回しか会えんようになったし、それでこの日は雨がよう降るんだと。(昔話「天人女房」)…
稲苗やはすの葉に乗る露を集めてすずりに入れ、その墨で願い事を書いてささ竹に結び、小豆飯や瓜などを供えて祭ります。ささ竹は7日の朝、川や海に流しますが、後で拾って帰り畑に立てると鳥や虫が来ないと言います。この日は、3粒でも雨が降れば良い、とか水浴びをすると病気にならない、髪を洗うと美しい髪になる、井戸の水替えをするなどとかく水に縁のある日です。それは昔、この日に水で体を清めていた習俗の名残り、と言われています。外浜の村では6日に七夕小屋というやぐらを建て、楽しい一夜を過ごしたそうです。
米子の旧町の人は、ささ竹を川に流さず内町の宇気・河口神社に持ち寄られます。昔は加茂川に流していたけど、京橋のあたりでささ竹が川を埋め尽くしたのだそうです。
ところが天神町辺りには旅客船や商用船が多くつないであったので、これは困るということで、江戸時代から京橋に近いこの神社に持ち寄り、七夕祭をすることになったと言われています。けだし環境美化の先がけでもありました。
宇気・河口神社の七夕祭り
平成16年7月号掲載
掲載日:2011年3月22日