年神飾り
大晦日の夜は、囲炉裏に屋根裏の梁がみえるほどの大火を燃やし、この年越の火を守って、家族は元旦まで寝ずの番をするものだ、と言われていました。
…昔、ある大百姓の主が、大歳に年越しの火の守りをせねばならんけど、昼間の仕事の疲れで女中さんに「火を消すでない」とよくよく言い聞かせて自分は寝てしまった。気の良い女中さんは二つ返事で承知して火を守っていたが、夜も更けるとついうとうとと囲炉裏端で寝込んでしまった。
どのくらい寝ただろうか、ふと目覚めて見るとこりゃ一大事、火が消えとる。あわてて寒い外に飛び出て見ると、暗闇の中にチラチラと火が見える。女中さんは急いでその火の所に行って、火を分けてもらおうと頼むと、そこにいた男たちは「火はなんぼでも分けてやる。そのかわり、ここにある死人の入った棺桶も一緒だぞ」という。仕方なく棺桶と火を受け取って家に持ち帰り、棺桶は土間にむしろを下げて隠し、囲炉裏の火はまた元のように燃えだした。
明ければ元旦。朝早く起きた主人は、囲炉裏に赤々と燃える火を見て女中さんにお礼を言い、土間に見なれぬむしろが下がっているのを見て「あれは何だ?」と聞いた。「実は…」と女中さんが正直に話しかけていたら、むしろで隠した棺桶がピカピカと光りだした。驚いて二人が駆け寄って棺桶を開けてみると、なんと死人は山ほどの大判小判に変わっていたと。
それで今でもこの辺りでは、正月の年神さん飾りにはむしろを吊るすんです…
「大歳の火」という昔話です。
元旦に棺桶とは縁起でもない、と思われますが、これは冬になり稲など穀物が枯れ死した後、新しい年を迎え穀物に新しい命が宿る、穀物の霊の死と再生を物語る話だと言われています。写真は河崎で正月に飾られた年神飾りです。
昭和初期には米子でもこんな立派な年神飾りをしていたのです。写真左側に話に出たむしろが下がっています。
話にあやかって、今年は黄金がザックザックの年になってもらいたいものですな。
年神飾り…生田清コレクション(市立米子図書館蔵)より
平成16年1月号掲載
掲載日:2011年3月22日