瑜伽堂

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 瑜伽堂(ゆうがどう)

…昔、ある所に彼岸が来るので、死んだ爺さんにお経の一つなっと唱えてやりたい、と思うとった婆さんがおった。
そこに旅の和尚さんが、一晩泊めてくれ、いうてやってきた。婆さんは、泊めてあげる代わりに有り難いお経を教えてくれ、と頼んだ。この和尚は、和尚とは名ばかりで、ろくすっぽお経を知らざったが、何とかなるわい思うて承知した。
晩飯を食べ、さて婆さんにお経を教える番になった。にせ和尚は仏壇に座って、お経の言葉を何にするかきょろきょろ周りを見回していたら、(ねずみ)が穴からのぞいていた。そこでにせ和尚はお経を唱えるようにもったいをつけて「おんちょろちょろ穴からのぞかれ候」という。と鼠は家に入ってきた。「おんちょろちょろ家に入られ候」鼠はチュウチュウ鳴いた。「おんちょろちょろ何やら独り言いわれ候」鼠はまた穴に帰った。「おんちょろちょろお帰りになられ候」ありがたいお経の教授は終わった。次の日から婆さんは毎晩仏壇の前に座って「おんちょろちょろ…」と教えてもらったお経を、大声あげて唱えていた。
ある晩、婆さんの家に泥棒がやってきて、障子の破れ穴から中の様子を見ていたら、婆さんはいつものように大声でお経を唱えはじめた。「おんちょろちょろ穴からのぞかれ候」泥棒はギョツとしたが、一歩家の中に入った。「おんちょろちょろ家に入られ候」泥棒は、ハテ見られた覚えはないが、と独り言をいった。「おんちょろちょろ何やら独り言いわれ候」泥棒はあわてて逃げ出した。「おんちょろちょろお帰りになられ候」まことにありがたいお経だったと…

鼠経(ねずみきょう)」という昔話です。

紺屋町にある瑜伽堂は文化2年(1805)同町の広瀬屋・安来屋さんなどによって備前(現在の倉敷市児島由加)の瑜伽大権現を勧請されたものです。江戸期、四国の金毘羅参りをされた人の多くは備前の瑜伽さんにも参られたそうですから、その縁で勧請されたものでしょう。この紺屋町の瑜伽堂はその昔は、泥棒除けに霊験がある、といって評判だったそうです。このお堂でも「おんちょろちょろ」と鼠経を唱えられたのでしょうかな。


紺屋町にある瑜伽堂

平成15年9月号掲載

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掲載日:2011年3月22日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。