糺坂の怪
『米府鬼話』という江戸期に書かれた本にある話です。
…昔、尾関三郎右衛門という侍が境港で勤めていた時、彼の母が亡くなった。亡母を菩提寺の総泉寺に葬る為に、親類や友人とともに棺をかついで米子に向かった。糺坂(糺神社前の砂山の坂)まで帰ってきた時、「日がまだ高いので暮れてから糺坂を通ろう」という話になり、そこで棺を降ろし日暮れを待った。
待っている間に、喪主の顔が病人のようにまっ青になった。
友人が「お前、身体の具合が悪いのではないか、先に行って休んどれ」というと、彼は「子が母の棺を置いて先に行くのは孝道にはずれるが、お言葉に甘えて先に行って休ませてもらう」といって一足先に米子の町に入った。
日は暮れた。 灯火を付け「さあ出発」と糺坂にかかったところで男が一人気を失って倒れた。助け起こして同道の医師に診てもらっていると、一陣の冷たい気味悪い風が回りを吹き抜けた。
すると、そこにいた全員が気分が悪くなって倒れる者が出た。
「これは妖怪の仕業だ。ここにはおられんぞ」といって棺をかついで大急ぎで糺坂を後にした。
後日、三郎右衛門に「糺坂の所で気分が悪くなった時、どげな気分だった?」と聞いたら「体も心も冷たくなっておかしな気分だった」と答えた。
あそこで倒れた者にも聞いたが、三郎右衛門と同じように言ったという…
この怪談でわかることが二つあります。
一つは、日の高い内に町の中に棺をかついで通ることは、昔は遠慮すべきことだったということと、今一つは、糺神社のあるあの砂山のあたりが昔の米子町と浜の村々との境界だった、ということです。
村の中や町中は何事もないのですが、町の境や村境などの境目には、昔はチミモウリョウあらゆる妖怪の寄り集う特別な空間だと思われていたようです。
だからこそ村境に塞の神を祭ったり、村のはずれにお地蔵さんが立っておられるのだと思います。
えっ?「何でそげなことがあるもんか。あれは水木ロードの妖怪一家が葬列についてきていて糺坂の所で暴れただけのことよ」ですって?。
なるほど、恐れ入りました。

弓浜側から見た糺神社
平成13年10月号掲載
掲載日:2011年3月18日