塔婆堂の由来

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塔婆堂の由来
塔婆堂の由来

昔、河崎四軒屋を開かれた矢倉家のご先祖は、毎日早朝に海に出て潮水で身を清め、神様に供える潮水を汲んで帰るのを日課にしておられました。
ある日、いつものように海辺に出てみると、大きな塔婆の木が浜に流れ着いとりました。弓浜部には山がありません。その頃は薪は浜辺に寄り着く材木を集めておいて、冬場の焚き物にしとりましたので、これはよい薪が流れ着いちょる、と思ってその塔婆の木を持って帰り、家の中に入った途端、急に高熱が出てその場に倒れてしまいました。家の人はびっくり。今なら110番に電話するところですが、「こりゃあ、この塔婆の木が崇っとるぜ」と話し合って、その木を元あった浜辺に戻しました。
ところが、そげな事があったとは知らん近所の人が、こりゃあいい物が流れ着いちょる、ていうてその塔婆を家に持ち帰った。
家に入った途端こな衆も高熱を出いてぶっ倒れてしまいました。
変なことだ、こりゃあ拝んでもらわんと治らんぞ、と思って二軒で行者さんを呼んで拝んでもらわはったところ、案の定、「塔婆が崇っとるけぇ、お堂を建てて塔婆を祀れ、そげすりゃあ熱はじき下がる」という卦が出ました。そこで早速に小さなお堂を建てて、その塔婆を納めて拝んだところ、あれほど高かった熱も、うそのように引いてしまったそうです。それ以来、「河崎四軒屋の塔婆堂」といって、急な発熱などに霊験あらたかな拝み所として、昔は参拝者が多かったそうです。

この話、昔から有名だったらしく、18世紀中頃(江戸時代)に書かれた本にも「(塔婆の木は)石州(島根県西部)より流れ来たる由にて…瘧おこり(一定時間と置いて発熱する病気)など落ちるに妙なり」と書いてあります。 江戸時代の急な病気の時の拝み場だったようです。
9月9日は重陽の節供ですが、救急(9・9)の日でもあります。夜昼なく働いておられる救急車や救急病院の方に感謝して、この日は四軒屋の塔婆堂には足を向けて寝んようにしましょうぜ。


河崎四軒屋にある塔婆堂

平成13年9月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。