双頭レール
米子駅から皆生温泉まで電車が走っていたころの話です。
…皆生で一風呂浴び、一杯引っ掛けていい気分になった男が、夜、米子に戻ろうとして電車を待っていたそうな。すると直ぐチンチンと音がしだした。いい調子に電車が来たぞ、と思って待っていた。が、音はすれどもなんぼ待っても電車が来ん。変だなあ、と思って通りかかった皆生の人に聞いたら、「ははん、あんたさんキツネに化かされなったな、ここには競馬場キツネっていう性辛キツネが居るけんなあ」…
山陰線でもこんな話があるそうです。
…昔、浦安辺りの駅員さんが、汽笛が聞こえたのでやがて汽車が来る、と思うて線路の外で待っとったが、なんぼ待っても来ざった。 後で近所の人に聞くと、「この間、タヌキがそこで汽車にはねられ死んだけえ、それが悪さをしたもんだ」と話したと…
これらの話は「偽汽車」といわれる明治以後に生まれた民話です。
日本で初めて鉄道が開通したのは、明治5年(1872)東京の新橋-横浜間でした。当地では、百年前の明治33年(1900)から米子-境港間で工事が始まっています。
米子駅は、山陰線・伯備線・境線が交差する拠点の駅ですが、この駅舎に、明治のはじめ、日本を走った鉄路のレールが使われていることをご存じですか?
それは明治3年(1870)外国で造られ日本に運ばれてきた、上下が同じ型をしたレールで上部が磨耗すればひっくり返して下部を使うように造られた「双頭レール」といわれたものです。しかし、このレールは、使ってみたら安定性が悪く、すぐにお払い箱になりました。その後、流れ流れて米子に来て明治35年(1902)米子駅舎新築時の建築資材に活用され、今に至っています。日本の鉄道の歴史を物語る、貴重なお宝です。
表がだめになればひっくり返して裏を使い、裏もだめになれば建築資材に使うとは、これって今はやりのリサイクルのはしりではないでしょうか。
限りある資源を有効に再利用するという「リサイクル法」は今月から発効します。

米子駅0番のりば天井の双頭レール

平成13年4月号掲載
掲載日:2011年3月18日