中海凍る
今年は、暖冬と予報では聞きましたが、けっこう寒い日があります。
…昔、冬になって食べ物がなくなり、腹をすかせてうろつくキツネがおった。カワウソの家の前まで来たら、魚を焼くいいにおいがしてきた。キツネはにおいにひかれて、ついふらふらと中に入ってカワウソに聞いた。「どげしたらそげなうまげな魚が捕れるのかいなあ」カワウソは「そりゃあ簡単なことだ。寒い晩に前の東郷池に出て、尻尾を水の中に浸けとけば、なんぼでも魚が釣れる」と教えてくれた。
キツネは、早速その晩、池に出て尻尾を水の中に浸けた。明け方、もうなんぼなんでも釣れとろう、と思って尻尾を上げかけたが、一向に上がらん。アラよっぽど大物が釣れたわい、とほくそ笑んで思いっきり引っ張ったところが、ケ、尻尾がポーンとち切れてしまった。見ると、池が凍っておって尻尾が上がらなんだだと…
三朝で聞いた「尻尾の釣り」という昔話です。
東郷池は兎も角、中海は凍ることがあったのでしょうか?
それがあったのです。
記録で見る限りでは、一回は文化9年(1812)暮れに中海が凍り、明けて10年の元旦から大勢の人が、凍りついて動きのとれなくなった船を見物に出かけたそうです。その見物人たちを相手に氷上に酒屋ができ、三味線を弾く人まで現れて、町のようににぎわった、とあります。安来の清水さんに初詣でするにも、その年は海上を真っすぐに行けたそうです。氷の厚さは実に1尺7、8寸(約54センチ)あった、とあります。
もう一回は明治14年(1881)の正月。 暮れの12月24日から大雪になり、3尺(約90センチ)ほど積もったそうです。元旦から5日まで中海・宍道湖が凍ったので、氷の上で人力車を乗り回したり、歩いて恵方参りをした、とあります。
記録されなかったことも多いでしょうから、中海はなんども凍ったことでしょう。
中海が凍ったとき、氷上を通って、向う潟といった安来の島田から住吉ヘカスリ織を運んでいて、その上陸地点を「機の岬」といったそうで。それが今の「旗ヶ崎」という地名の起こり、というのですが、どんなものでしょうか。
中海の氷も、春になり暖かくなると溶けるけど、我が懐具合は春になっても一向に…おっと、これはひとりごと。
城山から望む中海
平成13年2月号掲載
掲載日:2011年3月18日