師走の大工
今年も師走になりました。
今昔物語にある話です。
…今は昔、人々は飢きんに苦しんでいた。ある男が伯耆国庁の倉に米を盗みに屋根を壊してしのび込んだ。入ってみてびっくり。倉の中には米一俵ない。からっぽ。男は再び屋根まで上がる気力もなく倉の中から扉をたたいていた。4、5日目に外の者が気付いて、何者だ?と聞く。男は、泥棒に入ったが何もなく出るに出られず、もうへとへと。どうせ飢死するなら外で死にたい、と叫んだ。
出てきた盗っ人は自首したのだから、実害もないし、放免しましょう、という部下の言を聞かず、時の国守は首をはねてしまった。人々は酷いことを、と口々にそしり、国守はすっかり評判を落としてしまった…
天神町は、昔は片原町といいました。中海の出入口にあるので、船で松江や大社へ行く旅人のための宿屋が軒を連ねていた町だったそうです。その頃の話です。
…年の暮、借金だらけの男が、宿屋なら銭があるだろう、と思って夜中にある宿屋に忍び込んだ。 ごそごそ探すが金銭はびた一文ない。見れば壁は落ち、柱は傾き、何とも寂れた宿屋だった。
盗っ人は腹を立て大きな音を出した。家の者(といっても爺と婆の二人だが)が眼を覚ました。「婆さんやどうも盗っ人が入ったようだで」と話しとるところに当の本人が眼をつり上げて現れ「金を出せ!」と怒鳴った。爺と婆は真底親切な人だったので「まあよう来てごしなった。だどもうちはご覧の通りで客も来んで、銭金は一銭も無いでまことに申し訳ない。が、米はちょっとはあるけぇ待っとって」といって婆さんはいそいそと飯を炊き、爺さんも「まあ寛いで風呂なりとお入り」といってわざわざ風呂を沸かしてくれた。
泥棒は、心から親切にしてくれる老夫婦に感激して「わしは本当は大工だけえ御礼に家を修理したげる」といって、盗みに入った家を修理して帰っていったそうですと…
そうでなくても年末は慌ただしいのに、今年は世紀末と地震の後遺症まで重なって余計に騒がしく「大工」「大工」とうるさいことで、これでは大工さんも大変でしょう。
え?ダイク違いだって?こりゃまた私としたことが。どうぞよいお年を。

天神町の町並
平成12年12月号掲載
掲載日:2011年3月18日