神さんの灯
出雲大社は、社伝では、大昔は地上16丈(約48メートル)の高い所に造られていて、それを支えた三本組の柱の一部が地中から発掘された、というニュースには驚かされました。淀江の稲吉から出土した土器に描かれた絵にも、空高く木で支えられた神殿らしき建物が描かれていますし、その他にも、金沢のチカモリ遺跡、青森の三内丸山遺跡など、日本海沿岸には巨木を直立させたと思われる跡が発掘されるそうですが、なんであんな高い所に建物を建てたり、巨木を立てる必要があったのでしょうか。
識者は、これは神々を祭る施設だろうといわれます。それと共にこれは想像ですが、日本海を航海する船や、海で漁をする漁民のための灯台の役目もしていたのではないでしょうか。
『大山寺縁起』にこんな話が書かれています。
…昔、髪田の浦の漁帥が海で漁をしていたところ、突然海が荒れだして何処ともなく流されだした。漁帥は手を合わせて「南無大山権現助け給え」と祈ったら、風は収まり雲が切れて大山の峰が拝まれた。その峰から星が飛ぶように光が射し、海上を照らしたので無事に帰ることができた…
髪田とは米子の勝田のこととも思われますが、米子以外にも勝田・神田などの類似した地名がありますので、確定はできません。
似た話がもう一つあります。それは江戸の昔の話。
…ある日、博労町の和泉屋なんとかさんが出雲に出かけ、夜、中海を舟を漕いで帰っていた。ところが突然風が吹きだし大雨になり波も荒れだした。もはや舟も転覆だ、とぼう然としていたが、気を取り直し、困った時の神頼み。神さんを拝もう。近くの神さんといえば…そうだ深浦の祇園さんだ。と叫んでから、一心不乱に祇園さんを祈った。すると不思議なことに暴風雨の中に米粒ほどの明かりが見えてきた。それを目当てに一生懸命舟を漕いだら、無事に深浦の神社の前に着くことができた。
和泉屋さんは、この霊験を有難く思って感謝の印として、宝歴10年(1760)神社に石の鳥居を寄進した…
現在の鳥居は昭和50年、氏子一同が建てられたもので、和泉屋さんが寄進されたものではありません。
暗黒の荒海で見る一条の光は心強かったことでしょう。11月1日は灯台の日。

祇園町にある深浦神社の鳥居
平成12年11月号掲載
掲載日:2011年3月18日