みやげのツツジ
市内を流れる川筋や国道沿いに植え込まれた米子市の花・ツツジが、みごとな花を咲かせる季節になりました。
この季節に、昔は農家の女の人は集まって一晩氏宮などにこもったり、一日山に登って遊んで帰る風習が各地にありました。お宮などにこもるのを「女の家」とか「女の夜」などといい、山に遊ぶのを「花見」とか「山登り」「山ごもり」などといいました。この風習は、これから始まる田植えなどの農作業の前に、田の神サンバイさんをお迎えして神事や田植えを行うのですが、その田の神に奉仕する女性になるため、宮や山にこもって身を清める儀礼だったのでは、といわれています。「早乙女」とはそのような女性をいうのだといいます。
ともあれ、一日山に遊んで山から下りるとき、彼女達はツツジや卯の花(ウツギ)の一枝を折って頭にかざし、帰ったものだと言います。この花枝に田の神が乗り移っていて、彼女たちと一緒に山から里に降りられるのだといわれます。ウツギは「田植え花」ともいいますので、昔から田植えに関わりの深い花だったようですし、ツツジは山ツツジを採って帰られたのでしょう。
三柳に市庵という観音堂があります。昔のことです。このお堂近くの民家に、九州で生まれたというお相撲さんがやって来てとう留したそうです。さあ、どげな事情があったかは今になっては何も分かりませんが、この地が気に入ってかなりの月日をここで暮らし、とうとうそのお宅でなくなりました。村人はこのお相撲さんを、市庵観音堂の一隅に丁寧に葬りました。そのお墓はだいぶ風化していますが、「濱ケ関周助塔」という文字が今も何とか読めます。
彼は三柳に来てから一度生まれ故郷に帰りました。再びこの地に来たとき故郷のみやげとしてヨドガワという品種のツツジを持参し、世話になった家の庭に植えました。ヨドガワは昔からのツツジだと聞きましたが、当時、米子では珍しい花だったようで、評判になったそうです。(と、伝えられていますが、実は浜ケ関は浜ノ目出身で文政5年没の人です。)
ツツジ満開の町の中を歩くとき、その昔、九州からやってきたというツツジのことにも、思いを馳せてみたいものです。

市庵観音堂敷地内にある「濱ヶ関周助塔」
平成12年5月号掲載
掲載日:2011年3月18日