神様の贈り物
昔話に「大年の客」という話があります。大晦日の夜、泊まる所がなく困ってやって来たみすぼらしい旅人を、親切にもてなして泊めたら福を授かった、という話です。
この昔話が基となってできたと思われる伝説が伝わっています。話はこうです。
…江戸時代のこと、米子に吉岡如翁という医者がいました。彼は大晦日の夜、夢を見ました。それは、家に疱瘡神がやって来て「今夜わしを嫌って泊めてくれる宿がない。一晩泊めてくれないか。もし泊めてくれたら、家の子には疱瘡にならんようにしてやるが…」というので、如翁は心よく泊めてやった、という夢でした。
朝起きれば元旦。昨夜見た夢の話を奥さんに話かけたら、奥方は驚いて、実は私も同じ夢を見た、との話。見ると部屋の中に、がまの葉で作った小さな笠が置いてありました。それを見て、あの夢は正夢だったと悟りました。それ以後、吉岡家の子どもは疱瘡にかからなかった、といいます。近所で疱瘡の子がいると、例の小笠を借りてかぶせると軽症で治ったそうです…
当時、疱瘡といえば一生に一度はだれもがかかる死亡率の高い恐い病気でしたので、その小笠は、今ならさしずめガン特効薬のようなものだったのでしょう。
如翁はその名を豊郷といい、米子組士で医師の吉岡玄昌に見込まれ、彼の養子となって医業を継ぎました。如翁の名医ぶりが評判になりだした宝暦10年(1760)、彼は鳥取に呼ばれ、藩主の侍医になりました。が、参勤交代で藩主に従って江戸に出ていた安永8年(1779)9月、病気で亡くなったといいます。
先の話は、米子の伝説として語られていますので、如翁が米子にいた時の話だと思われます。とすればその家はどこにあったのか、と調べますと、宝永6年(1709)の古地図に、彼の養祖父、吉岡半兵衛宅が載っています。そこは加茂神社の道をはさんで斜め北向こうです。おそらくその家で疱瘡神から笠をもらわれたのでしょう。
20世紀もいよいよ最後の年を迎えます。思えば苦難の世紀でした。が、貧しくとも心優しく暮らしてきた多くの人々には、大晦日に福が舞い込み、せめて世紀最後の年ぐらいは良い年になる、と信じて紅白歌合戦でも聞きながら眠るとしましょうか。
伯耆国米子平図(鳥取県立博物館所蔵)の右下部分に吉岡半兵衛と記載してある
平成11年12月号掲載
掲載日:2011年3月18日