兼久の流れ橋
昔話に「大工と鬼六」いう話があります。
むかし、何回橋を架けても流してしまう暴れ川があったそうな。村人は、その辺り一番の大工に橋架けを頼んだ。大工は自信がないので、川を見ながら困っとたら、川の中から鬼が出てきて「お前の目ん玉をわしにごしたら、どげな水が出ても流れん橋を架けちゃるが…」というた。大工は、いい加減な生返事をして家に帰った。
次の日、川に出て見ると、何ともう半分ほど立派な橋を架けとる。その次の日にはもう橋は完成しとる。大工はびっくり。鬼は「さあ約束の目玉をごせ」とやって来た。大工は「もうちょっと待ってごせ」と頼むと、鬼は「そげならわしの名前を当ててみい。 当てたら目玉を取るのはこらえちゃる」大工は困った。が、家に帰る途中、子どもらが「早よ鬼六が、目ん玉持って来りゃええなあ」と歌っとるのを聞いた。
次の日、橋に行って、大工は口から出まかせの名をいっぱい言うと、鬼は大笑いして喜ぶ。最後に大工が大声で「鬼六!」と言うと、鬼はずぶずぶと川の中に沈んで、それっきり姿を見せんようになったと。
9月は台風の季節。つい数十年前までは台風と共に来る大雨で、日野川や法勝寺川がはんらんし、その都度堤防が切れて、米子の町は水びたしになっていました。が、その後の先人の努力で、はんらんの心配は全くなくなり、今は昔の話になってしまいました。
しかし、当時をしのばせる物が幾つか残っています。その一つが法勝寺川の青木橋の下流に架かる木橋・兼久1号橋です。この橋は、川の水かさが増すと水中に沈んでしまい、水が引けばまた現れる橋です。水の勢いで橋が流れても、橋の材木は流れないようにワイヤでつないである橋です。鬼六が架けた橋と違って初めから流れることを予想して架けた橋で「流れ橋」といいます。流れ橋としては、京都・木津川の上津尾橋、兵庫・揖保川の名畑橋などが残っていますが、数は少なく、珍しい貴重な橋です。
橋の近くには堤防改修記念碑・受難碑が残り、橋を渡った向こうには、治水の神様を祭った高良神社が鎮座していて、水に苦しめられた昔の人々の知恵と心を、この流れ橋と共に今に伝えています。
兼久(尚徳地区)を流れる法勝寺川に架かる木橋・兼久1号橋
平成11年9月号掲載
掲載日:2011年3月18日