あわて者の
大山参り
5月24日は大山さんの春のご縁日(昔は旧暦4月24日)。昔は、地元はもとより広島・岡山・島根辺からも多くの参詣人がありました。車がなかったから全て歩き。遠方の人は何日も前から出発しましたが、地元の人は日帰りです。米子の町のなかからだと、朝はまだ暗い3、4時頃から歩き始めて、尾高の精進川の辺りで夜明けを迎えたもんだ、と聞きました。
昔、糀町に大変そそっかしい人がおられたそうで。その人がある年、大山参りをすることになった。前の晩、明日は早立ちだていうので、枕元に弁当と風呂敷を置き、準備万端整えて寝た。が、寝過ごしてしまったので、暗がりの中で朝飯をかけ込み、手探りで風呂敷に弁当を包んで、たすき掛けに背負うて、わらじ、を履き、あわてて家を出た。
しばらく行くと、大山参りの人がぞろぞろ歩いとる。「お早う」とにこやかに声を掛け追い抜いて行くと、みんな笑って答えてくれる。さわやかな気分で大山に向かって歩いた。
昼近くになって、やっと大山寺に着いた。懐に人れた百つなぎ(真中に四角い穴が開いた1文銭を百枚ひもで通した銭の束)を手で探って、左手の3文は大山の本堂と権現さんと下山神社にそれぞれ1文ずつさい銭に、右手の97文で土産を買うが、さあ何を買おうかい、と考えながら本堂でさい銭をあげる時に、つい右手の97文を箱に投げ入れてしもうた。しまった!と思うた時はもう遅い。
仕方がない弁当でも食べよう、と思うて背中から降ろいてみると、ありゃりゃ風呂敷と思うたはばあさんの赤い腰巻き。それでみんな笑うとったんか。弁当と思うたは木の枕。さあ腹は減るし、金は3文しかないし、えい3文で菓子を買うて食べよう、と店に入って一番大きな菓子をひったくって3文出すとすと、店員は「売れない」という。その声を振り切って山を駆け下り、いざ食べようとすると、それは菓子の型をした看板で。
ふらふらになってわが家に戻った、はずが隣の家で。腹立ちまぎれにかかさんを怒った、はずが隣の奥さんで。疲れをとる、というて銭湯に入ってもみほぐした足は、並んで座った人の足だったそうですと。

糀町(啓成地区)は、みそやしょうゆなど“こうじ”を取り扱う店が多かったためその名が付きました
平成11年5月号掲載
掲載日:2011年3月18日