宗像淵の鯉

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宗像淵の鯉
宗像(むなかた) 淵の鯉

暑い夏が近づくと、水に入って遊ぴたくなりますが…。
加茂川も昔は水がもっと奇麗で、ようけ流れとりました。宗形神社の下流には宗像淵いう淵ができとって、魚がうじゃうじゃ泳いどりました。

江戸の昔のことだったそうです。若い衆が集まって「田植えは済んだし暑うはああし、何と明日は、暑気払いに宗像淵に毒を流いて魚を取って食おう」いう話になりました。川に毒を流いて魚を一刻麻ひさせて取る漁法は、江戸の昔も今も禁じられた漁法だが、若い勢いでそげな相談をして別れたそうですわい。
その夜、毒流しを提案した若者の家に旅の僧が来て一晩泊めてくれ」って頼んだそうです。若者は「ああいいよ」って泊め「何もないが」って晩飯に麦飯を出いたそうな。僧は麦飯を拝んで食べながら「何とここに来る道々、小耳にはさんだけど、明日の毒流しの話は本当かな?」「うん本当だ」すると僧は座り直して、若者に懇々と毒を流すことの非を説いて聞かせた。が若者は「もう決めたことだ」てって、聞き流したそうです。
次の日、若者が起き出てみると、夕べの旅の僧はもう出発しとりました。若者たちは予定通り淵に毒を流しました。毒にしぴれて次々に浮かび上がる魚を取って、若者たちは一日中歓声をあげとったそうです。
長い夏の陽も沈みかけ、みんな大漁に満足して帰りかけたその時、淵の底から見たこともない大鯉が、ゆっくり浮かぴ上がって来ました。「淵の主が上がったぞ!」て言って、若者たちはまた水に飛ぴ込んで引き揚げ、肩にかついで帰りました。
村に帰った若者たちは、早々祝宴の料理にかかりました。淵の主の腹に包丁を立て裂いてみたところ、腹の中からはごっそり麦飯が流れ出て。びっくりしたあの若者は、その時ハッと気付いたそうです。昨夜の旅の僧は、この淵の主が姿を変えて、若者たちの悪巧みをいさめに来たものだと。
若者は、悪いことをした、と心から反省をして、髪をそって坊さんになったとか、気が狂って家も絶えたとか、とにかく、いい結末にはならなんだ、と聞いとります。


国道181号に架かる「宗像橋」の手前の「宮ノ谷橋」付近が“宗像淵”。今は改修され、その面影はなくなった。

平成9年7月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

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掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。