飯山の蛇話
同じ山並みに並び立つ城山と飯山を比べれば、飯山のほうが急斜面の山で、山城としては飯山側が優れていただろうと思います。
昔の人もそう考えたのか、米子の町中にできた最初の城は飯山に建ち、後に湊山(城山)に築城されたとも伝えています。
また、飯山には蛇が多くいて蛇山ともいわれたことは前月書きました。
それらのことを裏付けるような、こんな話が伝わっています。
…江戸の昔、米子城に夜な夜な化け物が出る、といううわさが立った。そこで化け物の正体を暴かんものと、腕に覚えのある侍、村河与一衛門が真夜中に城を見回っていた。
鉄御門をくぐって石段を上に上がろうとしたその時、暗闇の中に閃光が走った。
眼を凝らしてよく見ると閃光の中に女が立っていた。
与一衛門が「怪しい奴、何者だ!」と厳しく問うと、女は「私はこの城の主で、城を見回っているところだ」と言い捨てて行きかけた。
与一衛門は、これがうわさの化け物だ、と悟って刀を抜いて切りつけた。が、化け物の女もさるもの、刀の鋭い切っ先を右に左にと巧みに体を交わして逃げ回る。
何刻か激しい切り合いの時が過ぎた。
さしもの化け物の妖女も疲れ、ついに荒い息を吐きながら「実は、私は飯山の主の大蛇だ。湊山に城ができてから後、飯山は忘れられてしまい、荒れ放題に荒れている。それを恨んで化けて出たのだ」と白状し「お侍の腕前はよくわかった。私の負けだ。もう今夜限り化けて出たりはしない。その証拠に…」と言って皿を二枚、与一衛門に渡し、化け物の妖女闇を貫く大音響と共に消えた。
次の日の朝、与一衛門が昨夜化け物がくれた皿を取り出してよく見ると、それは何と二枚の大蛇のうろこだったそうですと…
も一つ。時代は逆上って吉川広家が米子城を造っていた頃の話です。
…広家の娘が城の近くで遊んでいたら、白い蛇が寄ってきた。娘は白蛇の澄んだ眼にひかれて可愛がっていたが、父広家の岩国(現在の山口県)転封によって娘も米子を去っていった。ところが、かの白蛇も一行に見え隠れしながら岩国に行き、錦川のほとりに住みついた。
その米子から来た白蛇の子孫がなんと今も生きていて、岩国市の文化財になっているんですと…
本当かなあ。いや、白蛇が文化財になっているのは本当なんですが…。

米子城の鉄御門
平成14年6月号掲載
掲載日:2011年3月22日