国史跡米子城跡は、戦国時代末期から江戸時代にかけての状況を良好な形態で残す全国的にも貴重な史跡であり、将来にわたってその価値を長く守り、生かしていくことが大切です。
米子市教育委員会では、『米子城 魅せる!プロジェクト2017』の一環として、米子城跡の歴史的価値やその重要性、魅力を広く知ってもらうため、『石垣で魅せる!山陰三城跡シンポジウム米子城・鳥取城・月山富田城』を開催します。
今回のシンポジウムでは、米子城と歴史的に関係の深い国史跡の鳥取城・月山富田城の担当者を交えて、基調講演とパネルディスカッションを通じて、それぞれの魅力やその活用の可能性について理解を深めていきます。
なお、当日は手話通訳及び要約筆記を行ないます。
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( 1.57メガバイト)
とき
平成29年11月11日(土曜日)午後1時から4時30分まで(午後0時30分開場)
ところ
米子市文化ホール メインホール(米子市末広町)
内容
第1部
基調講演「豊臣大名がやってきた!―大きく変わる城の姿―」
講師:加藤理文さん(公益財団法人 日本城郭協会理事)
第2部
パネルディスカッション 「魅せろ!われらの三城跡―お城の楽しみ方と活用、整備の方向性―」
コーディネーター:
加藤理文さん(公益財団法人 日本城郭協会理事)
パネリスト:
水口晶郎さん(安来市教育委員会事務局文化財課)
細田隆博さん(鳥取市教育委員会事務局文化財課)
濵野浩美さん(米子市教育委員会事務局文化課)
ご紹介
加藤理文さん(講師・コーディネーター)
静岡県教育委員会事務局文化課などで勤務され、現在は静岡県袋井市立浅羽小学校教諭。城郭研究家として全国の城を巡り、特に織豊(しょくほう)系城郭を専門に研究されています。
また、『続日本100名城』の選定委員として今年4月の米子城の選定に携わるなど、日本城郭協会理事としてご活躍中です。
著書に『織田信長の城』(講談社現代新書)、『日本から城が消える』(洋泉社歴史新書)、『織豊権力と城郭』(高志書院)、『静岡県の歩ける城70選』(静岡新聞社)など多数。
月山富田城
戦国大名として中国地方に勢力を誇った尼子氏の居城として知られ、尼子氏滅亡後には毛利家臣の吉川元春が居住しました。その三男の吉川広家は、豊臣秀吉から東出雲・隠岐・西伯耆を含む12万石を与えられ、米子城の築城を開始します。関ヶ原の戦後に堀尾氏が城主となり、1611年(慶長16年)に松江城を築城して本拠を移して間もなく廃城となりました。
城跡は急しゅんな月山の山頂部に本丸・二の丸などの主郭部があり、そこを中心として馬蹄型に伸びる低丘陵上に、山中御殿(さんちゅうごてん)をはじめとして大小多数の曲輪を配しています。主郭部や山麗部の主要な曲輪には石垣が構築されています。
大内義隆や毛利元就が大軍をもってしても、力攻めでは落城しなかった難攻不落の山城です。
… 月山富田城跡(安来市観光協会ホームページ)
鳥取城
戦国時代、防御性の高さから「日本にかくれなき名山」として知られ、織田信長が「名城」と評した城跡です。歴史的に著名な羽柴(後の豊臣)秀吉の兵糧攻めの舞台になり、江戸時代には、池田氏が米子城を鳥取藩の一城として治め、国内12番目の規模を誇った鳥取藩32万石の居城となりました。
二の丸三階櫓は、世界文化遺産・姫路城を築いた職人達が約10年後に関わったもので、鳥取城は「姫路城の弟城」との異名を持ちます。
このように戦国時代から江戸時代に至る多様な城の姿を残した鳥取城跡は、日本城郭の歴史を物語る「城郭の博物館」と呼ばれています。
関連事業
「お城学者 加藤理文さんとめぐる!米子城」(現地ウォーク)
11月12日(日曜日)に「お城学者」加藤理文さんといっしょに米子城を巡り、その魅力や見どころを探ります。
… 『お城学者 加藤理文さんとめぐる!米子城』(現地ウォーク)を開催します(米子市ホームページ)
「米子城跡ライトアップ2017」
11月1日(水曜日)から19日(日曜日)の間、米子城跡の天守石垣などをライトアップします。
… 『米子城跡ライトアップ2017』を開催します (米子市ホームページ)
参考
… 国史跡 米子城跡(米子市ホームページ)
その他
予告なく内容等の一部を変更する場合がありますので、ご了承ください。
当日は、文化ホール駐車場をご利用の場合は、6時間の駐車券無料処理をします。
米子市では『史跡米子城跡保存活用計画』に基づき、米子城跡の保存・活用・整備に取り組んでいます。
掲載日:2017年10月24日