中国からの国際交流員が退任します(令和7年4月)

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中国からの国際交流員が退任します(令和7年4月)

米子市国際交流員の呉丹(ご・たん)さん(令和6年4月着任)が1年間の任期を終え4月上旬に退任しました。

呉さんは、米子市の友好都市である中国・保定市の職員として国際交流業務に携わった後、一般財団法人自治体国際化協会のJETプログラム(外国青年招致事業)により来日し米子市に赴任。まちづくり企画課国際交流室で、友好都市の中国・保定市とのやり取りの翻訳や保定市からの訪問団の通訳のほか、中国語講座、小・中・高校や公民館などでの国際理解講座の実施、ラジオへの出演など幅広い業務に取り組みました。

退任後は中国へ帰国し、引き続き保定市職員として米子市との交流に携わる予定です。

 

【市長と副市長への活動報告】

市長挨拶1 市長挨拶2 市長挨拶3

 

 

<12代目 中国国際交流員 呉 丹/四川省南充(なんじゅう)市 出身>

呉丹

小学校での授業風景 がいな祭り

  • 印象に残っていることは何ですか?

(仕事について)

私が印象に残っている仕事の一つは、中国文化に関する講座でした。大学を卒業したばかりの私にとって、日本語がまだ未熟で、突然異国の地で日本人の方々に中国語を教えるというのは大きな挑戦でした。しかし、責任感と国際交流員としての使命感を持って取り組みました。日本語で中国語を教えることを通じて、私自身も新たな成長を実感しました。
また、がいな祭りに参加したこともすごく印象的でした。市役所の職員たちと一緒に踊り、市民全体が楽しんでいる様子を見て、夜の万灯はまるで夢のように美しく感じました。私はその時に撮った写真を中国のSNSにアップロードし、より多くの中国の友人たちにもこの素晴らしい米子の文化活動に参加してもらいたいと思いました。

(米子市での生活について)
印象に残っているのは、やはり地元の人々との深い友情を築いたことです。熱心に誘われて参加した伝統的な体験や、中華料理店で一緒に中国料理を楽しんだこと、年末には「水餃子忘年会」にも参加し、日本の新年の祝い方を体験しました。どの経験も、言語や文化は異なっていても、人と人との温かさとつながりは共通していることを深く感じさせてくれました。この一年、米子で私は「迷子の初心者」から半分「米子通」へと成長し、何よりも大切なのは、開かれた心で予期せぬ素晴らしい出来事を受け入れることを学んだことです。
だからこそ、別れの時が近づく中で、心の中には寂しさもありますが、それ以上にたくさんの思い出とともに帰ることができます。

  • 米子市のよいところはどこだと思いますか?

まず、やはり景色が印象的です。どこを見ても山と海が広がり、毎日窓を開けると大山の姿が見え、その日一日の良いスタートが切れます。
次に、米子にはたくさんのレストランがあります。和食、ラーメン、焼肉、韓国料理、中華料理、インド料理、タイ料理など、食事に関しては全く不便を感じることはありませんでした。
そして、面白いお店もたくさんあります。週末になると、自転車に乗ってあちこちのお店を探し回るのが、私の一番の楽しみでした。

  • 今後の予定を教えてください。

米子市で国際交流員として過ごした一年は、まるで素晴らしい文化の饗宴のようでした。美味しい料理を楽しむだけでなく、心もこれまでにないほど豊かに成長することができました。
「文化初心者」から「文化交流の経験者」へとステップアップした私は、この経験を友好都市の保定に持ち帰り、両市の文化交流プロジェクトをさらに発展させていきたいと考えております。
言語は交流の出発点に過ぎないことをよく理解しています。そのため、今後もさらなる勉強を重ね、日本語能力を向上させるだけでなく、中日両国の文化をより深く学び、異なる文化の間を自由に行き来できる「翻訳官プラス」として成長していきたいと思っております。すべての交流が心と心の触れ合いとなるよう、努力を惜しまず取り組んでいきます。
そして最も大切なのは、米子で頂いた愛と友情を胸に、引き続き中日友好の道を歩んでいくことです。どこにいても、私は保定と米子を繋ぐ架け橋であり続け、行動と熱意をもって理解、尊重、協力の物語を語り続けていきたいと考えております。

  • 市民の皆さんへメッセージをお願いします。

米子での一年間、米子市民の皆さまに大変お世話になり、心より感謝申し上げます。この一年の思い出は一生忘れることはありません。また、皆さんが中国、保定に来てくださることを心から歓迎いたします。保定でお待ちしております。

掲載日:2025年4月9日