米子市の水道は、大正11年(1922年)4月に水道布設の調査研究に着手し、日野川堤内の伏流水を水源として水道布設計画をまとめ、大正13年(1924年)6月に当時の米子町が国の認可を受け、同年9月に起工 、大正15年(1926年)4月から一般給水を開始しました。 昭和2年(1927年)4月には、米子町から米子市へと市制が施行され、その後の近隣町村との合併による給水区域の拡大や生活水準の向上、産業の発展に伴い、水需要は年々増加しました。 そのため、第1次水源拡張による車尾水源地3号取水井の新設、第2次水源拡張による車尾水源地4号取水井の新設を行い、水源施設の増強を図りました。昭和23年(1948年)には第1期拡張事業に着手し、続く第2期、第3期拡張事業による直送配水管の新設等、配水施設の整備を行いました。
昭和29年(1954年)4月には地方公営企業法を適用、公営企業としての体制を整え、米子市水道局として新発足し、第4期拡張事業では米子市域各方面への配水管の延長を行いました。 昭和33年(1958年)4月には、米軍専用であった美保軍用水道施設の無償貸与を受け、同年8月境港市と給水について協定を締結、境港市域の配水管の整備を行い、昭和34年(1959年)4月から境港市への給水を開始しました。
境港市域への通水式。 右~米子市長、境港市長ら
昭和40年頃の米子市中心市街地
しかしながら、更に水需要の増大が予想されたため、昭和57年4月から賀祥ダム参画による日野川水系での水源開発及び日野川東部地区地下水開発による新規水源確保(日量33,300m3)と現有施設の整備拡充を基本計画とする第7期拡張事業に着手し、昭和60年(1985年)3月に戸上水源地に調整池2池、同年7月に戸上水源地取水配水集中管理棟及び送・配水施設、昭和62年(1987年)3月に水浜水源地、昭和63年(1988年)3月に二本木水源地、平成元年(1989年)3月と平成2年1月に戸上水源地調整池2池が完成しました。
鳥取県営の賀祥(かしょう)ダム
伏流水取水施設の工事
平成7年3月には、国の水質基準大幅改正に伴い、戸上水源地構内に水質検査室を新設し、以後年次的に、検査機器の導入及び人員の配置など自己検査体制確立に向けて整備を行っております。 また、第7期拡張事業第3次変更認可により日野川伏流水の取水が可能となりましたが、より良質な水を求めて取水地点を上流部に変更し第4次変更の認可を受け、日野川堤外地における集水埋管・導水管工事を施工、続く導水施設・浄水施設の築造工事を経て、平成11年(1999年)3月には福市ポンプ場が完成し、平成12年(2000年)6月から取水を開始しました。
平成12年10月6日には米子市の南方約17kmを震源としたマグニチュード7.3の「鳥取県西部地震」が発生し、一部地域では液状化現象が生じ、管破損が多数発生いたしました。幸いにも米子市の工事業者はもとより他都市からも復旧支援を受け、断水については概ね5日間で復旧作業を終えることができました。 平成17年(2005年)3月31日に旧米子市と旧淀江町が合併したことにより、給水区域も拡大し、新たな米子市水道局としての一歩を踏み出しました。
鳥取県西部地震で集結した応援隊
深井戸3号竣工式の様子
平成20年(2008年)8月には、より安心・安全な原水確保を目的に平成15年に設けた車尾水源地内の深井戸2号と同様に、同敷地内に深井戸3号を新設し、おいしい水の安定供給に努めています。また、同年8月には、官民一体となり、後世に残すべく日野川の歴史、自然を守り続けていくために「日野川流域憲章」の制定に取り組みました。
今後も将来に渡り、施設の整備、ライフラインの確保及び水資源の有効活用に努めるとともに、危機管理体制を強化し、より一層の安全性と信頼性の向上に努力いたします。
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