中世の米子

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中世の米子

室町(むろまち)時代の伯耆(ほうき)の国は、山名(やまな)氏の一族によって治められていたんだ。

戦いの舞台となった尾高城跡
<写真> 戦いの舞台(ぶたい)となった尾高城(おだかじょう)(あと)

でも、戦国時代に入ると、出雲(いずも) を治めていた 尼子(あまご) 経久(つねひさ)  が力をのばして、伯耆(ほうき)の国をはじめとする中国地方の国ぐにを治めるようになったんだよ。

そのあと、同じく中国地方で力をのばしていた毛利(もうり)氏との間で、伯耆(ほうき)の国をめぐってはげしい争いが起こったんだ。米子市はまさにその舞台(ぶたい)となったところで、尾高城(おだかじょう)など各地ではげしい戦いがくり広げられたんだ。そして、毛利(もうり)氏は 尼子(あまご)氏をほろぼして、中国地方を治めるようになったんだ。 伯耆(ほうき)の国は、家臣(かしん)吉川(きっかわ) 広家(ひろいえ)  にあたえられ、米子城もこのころからつくりはじめられたんだよ。

 

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