市指定有形文化財 中山経塚出土品

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市指定有形文化財 中山経塚出土品

中山経塚出土品(なかやまきょうづかしゅつどひん)

経塚は釈迦入滅後の仏教思想の変遷を示す末法思想によって生まれたもので、県内では平安時代から室町時代までの33か所が知られています。このうち経筒(きょうづつ)、外容器の揃(そろ)った経塚出土品として貴重です。
米子市奥谷の中山古墳(宗像42号墳)は昭和11年(1936)に発掘されていますが、昭和30年(1955)に再発掘された際に経筒が横たわった状態で発見されました。経筒は銅板製で、薄い銅板を円筒状に接ぎ合せた筒身の底部2ヶ所に底板をとめるための径2mmの小孔があり、底板がはめ込まれていたと考えられます。蓋は被せ蓋で、丸みのある上面の径3.2cmの台座に径2.0cm、高さ1.8cmの擬宝珠(ぎぼし)形のつまみが付きます。経巻(きょうかん)は確認されていません。筒身の口縁から中ほどにかけて割れて欠損があり、亀裂も生じていました。かなり風化して緑青(ろくしょう)が吹き出ていましたが、令和元年(2019)度に保存処理を行ないました。
外容器は常滑(とこなめ)系の甕(かめ)片で、鎌倉時代末期~室町時代初期(14世紀)のものと考えられます。
中山経塚出土品
左:外容器片(甕)、右:経筒(蓋付き)1(経筒総高:21.6cm、経筒口径6.0cm)

掲載日:2022年2月4日