市指定史跡 尾高城跡

本文にジャンプします
市指定史跡 尾高城跡

この城の歴史は古く、築城の始まりは明らかではありませんが、江戸時代の初めに米子城が完成するまでは、この城が米子地方の行政、交通の要地として貴重な存在でした。戦国時代、西伯耆の拠点として山陰の中でも数多の攻防戦がくりひろげられた古戦場のひとつです。
16世紀前半までは山名氏ゆかりの行松(ゆきまつ)氏が居城していました。大永4年(1524)に尼子経久の大軍により落城し、出雲の尼子氏の城となりました。後には、毛利氏の家臣である杉原盛重が居城し整備したと考えられます。

尾高城跡

大山山麓から東に延びる標高40メートルの丘陵にあり、西及び北側は約20メートルの崖、大山山麓へ続く東側は堀と土塁(どるい)で防備をかためています。城郭に登ると眼下に米子平野が広がり西伯耆一円が遠望できます。南北約400メートル、東西約200メートルの範囲に、北から二の丸、本丸、中の丸、天神丸などを前面に、背後に越の前(こしのまえ)、城主館、南大首(みなみおおくび)などの郭(くるわ)を配しています。各廓は堀切(ほりきり)、土塁によって区画・独立しています。城主館は土塁に囲まれた方形館跡です。城の前面には城下町(今の尾高)が展開し、出雲、備中などへの街道が走っていました。遺跡の保存状態も良好で、県西部を代表する中世城郭です。

【参考資料】

リンク・新しいウィンドウで開きます 尾高城跡パンフレットPDF 1.63メガバイト)

尾高城の縄張り図

掲載日:2014年12月4日