輪くぐりさん

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輪くぐりさん
(わ)くぐりさん

梅雨の季節になりました。
この時季「青梅を採って食うと疫痢になるけえ食べるでない」とよく注意されたものでした。季節の変わり目でもあり、体の弱った人が多く病気になったのも事実でしょう。
『備後国風土記』には、こんな話がでています。

…昔、北の国の神様が、南の国の女を嫁さんにもらおうとして出かけた。途中で陽が暮れたので、その土地で宿を借りることにした。 そこには、巨且將来、蘇民將来という兄弟が住んでいた。
神様は、まず弟の巨旦將来の家に行って一夜の宿を乞うた。巨且は金持ちで裕福な暮らしをしていたが、汚れた身なりの神様を見て、にべもなく断った。神様は仕方なく兄の蘇民將来の家に行った。蘇民は貧しい暮らしだったが、神様に粟の茎を敷いて座をつくり「貧乏で何もないが」といって粟飯を炊いてもてなし、泊めた。
数年後、神様はまた蘇民將来の家にやって来て、「わしは須佐之男神だ。あの晩のお礼をしたい」といって蘇民の家族には腰に(ちがや)の輪を付けさせた。その夜、蘇民の家族以外の村人は全員、病気になって死んでしまった。神様は「のちのち病気が流行した時は、腰に茅の輪を付けて、蘇民將来の子孫だ、と言いなさい。そうすれば病気にならずに助かるから…」といって帰られた…

米子でも、別に蘇民將来の子孫ではありませんが「水無月祓い」とか「輪くぐりさん」といって、一年の半分が終わる6月晦日(神社によっては月遅れの7月晦日)に、神社の鳥居に大きな茅の輪を作り、氏子をくぐらせます。当日までに人型に切った紙を氏子に配っておいて、当日、その人型で体中をなで、白分のけがれを人型に移したことにして、神社に持って参り、輪をくぐって体を清める神社もあります。
『新修米子市史・民俗編』を見ますと、大篠津の諏訪神社では茅の輪は42才の厄年の氏子が作ります。持ち寄った人型は唐びつに入れて置いて、後に神主さんが茅の輪と一緒に灘に流すのですが、その時には大勢の氏子が笛を吹き、ドウ(太鼓)をたたいてにぎやかに灘まで送り、灘からは厄年の人が泳いで沖合まで送るのだそうです。
風土記の話からすれば、体のけがれだけでなく心のけがれもぬぐいとってもらえそうですが、心はなかなか。


諏訪神社(大篠津)の輪くぐり
写真提供:市史編さん室

平成13年6月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。