両足院の和尚さんと藤内狐

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両足院の和尚さんと藤内狐
両足院の和尚さんと藤内狐

昔戸上の藤内狐は、いたずらが過ぎて最後には尻を焼かれたが、この話はその前のこと。彼のいたずらでえらい目をこいとったので「やっつけよう」といろんな人が挑戦したが、みんな失敗して。一人、両足院(蚊屋)の和尚さんだけがあと一歩まで追い込んだのに、惜しかった。その時の話。

和尚さんは、藤内狐を正面から攻めては失敗すると考えた。こな狐があげに上手に化けるのは「七化けの宝」を持っとるから、ということが分かった。そこで、その宝を取り上げる作戦に出た。
和尚さんは、まず米子の呉服屋で白い裃と冠と綿帽子を買って来た。夜を待ってそれを着、綿帽子はていねいに包んで手に持ち、戸上山に行って「おおおい藤内!」と呼びかけた。その声を聞いて藤内狐がのこのこ山から降りてみると、白装束の神々しい人が立っているではないか。緊張して「はい、何でしょう」という。と、和尚さんは重々しく「わしは京都は伏見の稲荷大明神の使いの者じゃ。お前の活躍ぶりは京都でも有名じゃ。聞けば『七化けの宝』を持っとるそうじゃが、それを検分したいと大明神が申されとる。すぐ持って来い。代わりに七より上の『八化けの宝』をやれ、といわれとるので有難く受け取れ」といった。藤内は自分の名が京都まで知れとると聞いて、鼻をひくつかせながら喜んで宝を交換した。
次の朝、早速八化けの宝・綿帽子を被って、藤内は車尾の豆腐屋で好物の油揚げを取って食べた。ところが姿が消えとるはずなのに店の人がすぐとんで来て「ヤア狐が油揚げ盗ったぞ!」と叫んで追いかけて来た。ほうほうの態で逃げ帰りながら、彼はだまされたことに気が付いた。
怒った藤内は友達の化けの宝を借りて、和尚さんの叔母さんに化け、両足院に行った。
和尚さんと世間話のついでに思い出したように「ほんに、うわさじゃあ藤内の七化けの宝を手に入れたそうだか、見せてもらえんかのう」と話しかけた。和尚さんが宝を叔母さんの手に載せて見せてやった。と同時に叔母さんは尻尾を出して、戸上山を目指して一目散に逃げ帰ってしまったと。

だましたり、だまされたり、4月1日はご用心。いや今の世は年中と思し召せ。


蚊屋(厳地区)にある両足院の和尚さんは、いたずら好きの藤内狐をあと一歩まで追い込んだ

平成11年4月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。