吉岡・観音堂の石仏さん

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吉岡・観音堂の石仏さん
吉岡・観音堂の石仏さん

昔話にこんなのがあります。そら豆と炭と稲わらが旅に出かけました。途中、川に出たが橋がなかったので、わらが橋になってまずそら豆が渡り、次に炭が渡っていたら、炭にはまだ火が残っていて、渡っている途中で橋のわらが焼け、炭とわらが川に落ちてしまいました。それを見たそら豆は大笑い。あんまり笑ったので腹が破れ、あわてて通りがかりの人に黒糸で縫ってもらいました。それでそら豆には、黒い筋が残っているんですとさ。

伝説ではこんな話があります。
神奈川県の藤沢に片瀬川という川があって、そこにかかっていた橋から昔、馬がよく滑って落ちて死んだそうです。不思議に思った行者さんが橋の裏を見たら、そこに文字が書いてあって、これが原因だったそうです。

吉岡(巌地区)にも、これに似た話が伝わっています。

昔、吉岡の村の中の川に、石の橋がかかっていました。村の人はこの石橋を渡って、田や畑に行きました。が、牛や馬を連れて渡ると、行きは何とか渡ってくれますが、帰りは嫌がって渡りません。それでもと、無理やり手綱を引っ張って渡らせようとすると、石橋で足を滑らせて川に落ちたり、転んだりしてけがをする牛や馬が多くありました。
何でだらあか、と思って、ある時、村の人がこの石橋の裏側をのぞいて見たところ、何とそこには33体の仏さんが、ぎっしりと彫られていました。
「あ、こげな石が橋になっとるけえ牛や馬が足を滑らせたり、落ちたりするだ。この石は起こして祭らにゃあいけんわい」ていうことになって、祭ったのが今の吉岡の観音堂です。
33体の仏さんと、嘉永二已酉六月吉日・西国三拾三番・南無観世音菩薩・願主村中・などの文字が彫ってあります。 この石碑を見るかぎり、どうも橋だったようには思えませんけどなあ。

ありゃ、3月は「落ちる」「滑る」「転ぶ」は禁句でしたなあ。こりゃまた失礼しました。……でも、石を起こして、落ちたり滑ったりが止まったんだから、案外この石仏さん、滑り止め、落ち止めの仏さんかも知れませんで。自信のない人は拝んでみたら。


車尾から旧日野橋を渡って150メートルほど先にある吉岡の観音堂

平成11年3月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。