森の三笠狐

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森の三笠狐
森の三笠狐

まだ狐や狸が人を化かしていたころのこと。この辺には戸上の藤内狐・上万(大山町)の橋姫狐・森(尾高)の三笠狐が有名で互いに技を競っとった。藤内狐は最後には見破られて尻を焼かれたが、その性の辛さと化け方は絶品だったし、橋姫さんは、これはまた失せ物発見や災厄回避能力など、その霊力は多く人に信仰されとった。
それに比べると三笠狐はいたずら好きは一人前、いや一狐前以上だが、藤内君のようには化け方が上手でなくて、時に尻尾が出とったり、口がとんがっとったりしてじきに正体がばれてしまうし、そうかいって橋姫さんのように霊力もあんまり無くて「失せ物は西の方にある」と言って舌の根の乾かん内に東の方から出て来たりで、愛きょうはあるが要領の悪いドジな狐だったげな。それで尾高に居ずらくなったんだろうかな、ふっと居らんようになって村人にも忘れられてしまっとった。
そのころ、上方や四国の寺や社へ詣ることが流行しとって、尾高の人も伊勢詣りに行く人があったげな。無事に参拝も済ませ、さて今夜の宿は、と伊勢の宿屋街で宿を探しとったら、何だか見たことがあるような伯耆なまりの客引き女が声を掛けたので、誘われるままその女の宿に入ったげな。
一風呂浴びて寛いどる時に女が飯を持って来たので「お前さんを以前見たことがあるようなし、言葉が伯耆なまりだが」と話しかけたら、女は、
「あんたさん伯耆のどこかな?」
「いや、わしは大山の麓の尾高だが」
と言うと、女は懐かしげに「実は」と三笠狐だということを白状し、次々と御馳走を持って来ては、尾高のこと、同僚狐の消息などを尋ねて懐かしがったげな。次の朝、男は宿代を払おうとしたら、三笠が「あんたさんの宿代は、昔迷惑をかけたおわびに私が払わしてもらうけん」と言った。 男は三笠に厚く礼を言って家路についた。
それから何年も経った寒い夜のこと。男の家の戸を叩くような音がした、が北風が戸を震わせたのだろう、と思ってそのまま寝た。次の朝戸を開けて見たら、老いさらばえた三笠狐が息絶えていたと。男と村人は、故郷を懐かしんで帰って来た三笠を不びんに思って、森田圃に墓を立ててやった。その墓(狐塚)も戦後なくなってしまった。


尾高(大高地区)の伯仙小学校から米子道の間に広がる森田圃。以前ここに狐塚があった

平成11年2月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。