二本木の朝日さす長者屋敷

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二本木の朝日さす長者屋敷
二本木の朝日さす長者屋敷

昔、二本木に進という長者(大金持ち)が住んどりました。さあ、何でもうけられたんか知らんけどなあ。
もともと進長者は、大昔から知られていた紀長者の縁つづきになる家で。紀長者は「大山寺縁起」にも出てくるし、大山寺が大昔に焼けて再建された時(承安3年・1173年)、仏さんを寄進したという紀成盛の紀氏で、家は岸本の長者原にあった、というより紀長者が住んどったから「長者原」というようになったんでしょう。何しろ屋敷は一町(約109メートル)四方あって、長者が信仰する日吉津の蚊屋島神社まで、家から一直線の道・長者道をつけて、毎日馬に乗って参拝しとりましたと。その時に乗る馬の鞍は、近くの大工に毎日造らせ、新しい鞍にまたがって日参しとったそうですし、また馬に乗る時、長者は石の上に立って乗ったそうで、その石を駒谷石といって馬の足跡が二つ付いていた、と伝えられとりました。
この紀長者の流れが二本木の進長者で。もっとも進氏にもいくつかの派があって、二本木の進氏は三能(箕)進氏といわれておって、ここが屋敷だった、という大きな屋敷跡が今でも「土居」という地名で残っとります。
この屋敷の巽(東南)の隅に宝が埋まっとる、という言い伝えがありましてな。その場所は、「朝日さす 夕日輝く木の下に 小判千両に朱が千駄」とか「漆が千駄 朱が千駄 朝日たださす柿の木の下」と歌で宝の在り場所を示しとる。時々新聞をにぎわしますが埋蔵金探しが。また、「宝島」という小説を思わせるような海賊の隠し金探しのようなスリルのある話ですが…、この伝説は。
実は進長者にはもう一つ話が伝わっておって、いつの頃か知らんけど進長者が大切に持っておった古い文書を、庭の巽の隅に埋めた、という。この二つの話がごちゃ混ぜになって、朝日長者、夕日長者の伝説に生まれ変わったのかも知れませんなあ。

まあ、夢話であっても新しい年は黄金のありそうな、景気のいい話で出発を祝いましょう。


二本木(巌地区)の国道9号と大山道路への分かれ道付近に進長者屋敷はあった

平成11年1月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。