横綱を倒した和田の力士

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横綱を倒した和田の力士
横綱を倒した和田の力士

前場所の大相撲は、横綱がよう転んで面白い場所でした。転ぶ、といえば米子にも横綱を転ばせた力士がいたんですよ。

江戸の昔には、有力な藩はお抱え力士をもっていました。鳥取藩では大関両国梶之助(両国とは因幡伯耆両国のことだそうですよ)とか、松江藩では何といっても横綱雷電為右衛門。お抱えにならない力士も大勢いました。和田出身の平石七太夫と、その従兄弟の山颪源吾もそうでした。
ある年、大阪で横綱雷電と山颪が対戦することになりました。山颪は雷電に何としても勝ちたい。そこで従兄の平石に相談をかけました。
平石は「かんたが逆立ちしても勝てる相手ではない、が、どげでも勝ちたいなら、仕切り直しを繰り返すことだ。その内横綱の足のどっちかがけいれんを起こす。その時立って反対側の足を取れ」と教えました。
昔は、仕切りの制限時間はなかったから、山颪は教えられた通り、仕切り直しを繰り返して48回目、相手の右足がけいれんするのを見た彼は、さっと立つと同時にパッと横綱の左足を取った。さすがの雷電もたまらずひっくり返ってしまった
まさかの雷電か無名の山颪に負けたので、観衆は大喜び。座布団は飛ぶは歓声は挙がるはで、山颪は大喝采を浴びました。けど、収まらんのは雷電の弟子たち。山颪は彼等につけねらわれだしたので、こっそりと九州に逃れたそうです。
九州では身分を隠して、商店で働いていました。ある日、神社の奉納相撲を見に行き、取り口を批評しとったら、それを聞いて怒った力士から対戦を申し込まれ、やむなく土俵に上がり、相手を次々投げ飛ばしてしまいました。そこで彼は実力を見込まれ、指導者となって多くの力士を育てたそうです。
まじめで明るい彼は、人々に惜しまれ故郷に帰りましたが、その折り、店の主人から、一本の掛け軸をもらいました。これが和田の釣舩神社の基になった、といわれています。

平石と山颪の墓碑をかぜの時に拝むと治るそうですよ。なぜかって、そりゃあんた関取(咳取り)の碑だもの。


和田町にある力士「平石七太夫の墓」(左)と「山颪源吾の墓」(右)

平成10年7月号掲載

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掲載日:2011年3月18日