東町の榎神社・剣先さん

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東町の榎神社・剣先さん
 東町の(えのき)神社・剣先(けんさき)さん

東町の合同庁舎前・道向こうに小さな公園があり、先年植えた榎の樹が立っています。
ここには、江戸時代から榎の大樹が生えていて、その下に榎神社という小さなお宮がありました。(今は勝田神社に合祀)このお宮の横に、これもまた小さな「剣先さん」という祠がありました。この剣先さんがどうして祭られるようになったのか、の話です。

…江戸時代のことです。 榎神社の近くに侍さんの家族が住んどりました。ある年、この侍さんに奉公している若者が、主人に無断で、当時流行していた伊勢神宮参りに行ってしまいました。 いわゆる、抜け参宮、というやつです。
短気者で知られた主人でしたので、それを聞いていや怒るまいことか。 頭から湯気を立て、手ぐすね引いて、今や遅しと若者の帰りを待っていました。
やがて、一月ほど経ってから帰ってきた若者を、主人は引っ捕らえ、若者が詫びを言う間もあらばこそ、刀で肩口から袈裟掛けに切って落とし、遣体は榎神杜の横の竹やぷに埋めてしまいました。
その次の日のことです。 昨日切られて命果てたはずの若者が、またぞろのこのこと帰つて来、主人の前に手をついて、抜け参宮をして迷惑をかけた詫びを丁寧に言い、伊勢みやげまで差し出しましたそうな。
びっくり仰天したのは主人とその家人で、まっ青になりながらも、よくよく見るに足もあり、顔も本人に間違いない。みんなキツネにつままれたようでした。すると、いったい昨日のあれは誰だったのか、ということになり、改めて埋めた所をこわごわ掘ってみたところ、何と中から出て来たのは、斜めに真一文字に切られた伊勢神宮のお札でした。このお札が、若者の身代わりとなって切られていたのでした。
主人はこの霊現に感じて、埋めた場所に小さな祠を建て、例の伊勢のお札を納め直し、祭られたんだそうです。そのお札が、剣の先の型をした札だったので、この小祠を「剣先さん」と言うようになったんだそうですと…

黄金週間に旅する人も多いでしょうが、抜け参宮はいけません。 あとが恐ろしいですぞ。平成の今の世でも。


榎神社のあった場所には、榎の木が植えられ「伯州米子今昔案内板」が建っている

平成10年5月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。