粟嶋の八百べくさん

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粟嶋の八百べくさん
 粟嶋の八百べく(比丘尼)さん

粟嶋神社がある所は、昔は文字通りの島で、舟の渡し賃は3文だったそうですよ。

昔、この粟嶋に数人で信仰していたリンゴン(龍神)講があって、当番になると神さん拝みの後、講仲間にごちそうを出すのがきまりでした。
ある年の当番が、ごちそうぶりに見たことのない肉を出しました。聞くと「これは人魚の肉で食べるとうまいし、不老長寿の肉だよ」と言いました。みんなは珍しげに見たもんの気味が悪うて、け、食べたふりをして肉を着物のたもとに入れ、帰りの舟の中で海に捨てたそうです。
ところが、一人だけ酒に酔っぱらっておって捨て忘れた人がいました。こな衆は、家に戻るとじきにいびきをかいて寝てしまいました。家には18になる娘がいて、父親の着物を脱がせていて、たもとにあった肉を見つけ、土産だ、と思って食べてしまいました。
はじめ体がとろけるように思われて、ちょっと気を失い、気が付くと肌はつるつる、耳はアリの歩く音、眼はノミが蜂ほどに見えるようになった。それからです。この人はなんぼ年をとっても、18の娘のまんまで老けんようになりました。同い年の者は、みんなしわくちゃ婆さんになって死んで行くのに、われ一人何年経っても一向に年をとりません。
寂しいでしょうで、知った者がみんな死んでしまって、自分だけ生き残っとるのは。『(ジョウ)()る』って言いますが、食を絶ってわざと死ぬことを。この人も仏壇の鐘を持ち出いて、そげして村人に「わしは粟嶋に渡って定に入る。 生きとる間は鐘をチーン、チーンと打つ。 音がせんようになった時が、わしの命日だと思うてごせ」って言って洞穴に入られたそうです。 定に入って何日か後に鐘が鳴らんようになりました。 その時この人は800歳だったので、村人は、八百べくさん、と言いましたと。 べくさんとは比丘尼(びくに)、女の坊さんのことです。

今でも、この洞穴(静の岩屋)は残っていて、戦争中は出征兵士の武運長久を祈って参る人が多かったですよ。
9月15日は敬老の日。長生きして良かった、と思える毎日でありたいものです。


粟嶋神社(彦名町)入口から右奥150メートルほどのところにある洞穴「静の岩屋」

平成9年9月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

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掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。