新山の小豆とぎ

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新山の小豆とぎ
新山(にいやま)小豆(あずき)とぎ

秋祭りの季節になりました。昔は氏神さんの祭りといえば都会に出て働いとる若者も、嫁に行った娘も孫を連れて帰って来て、村にも一刻のにぎわいが戻ったもんですけどなあ

成実の新山の氏神さんは白山神社といいまして、この神さんに仕える動物はサケ(鮭)だそうです。昔は祭日(10月18日)の前の日には、雨と一緒に鮭が神社の前の小川に戻って来て、祭りの次の日に雨と一緒に去ぬる、と言われとりました。実際、祭日の前後には雨がよく降ったもんです。近年は、文化の日に祭日が変わってしまいましてねえ。
祭りには、豆腐やどじょう汁などと共に、必ず小豆を入れた赤飯を炊きました。今でも祝い事や祭日には炊きますが…。
私らの子ども時分には、夜遅うまで遊びほうけとると、「小豆とぎに取って食われてしまうぞ」ていうて脅かされたもんでした。「小豆とぎ」とは「米をとぐ」というのと同じで、赤飯を炊くために小豆を洗っている婆さん、というほどの意味でした。
神社の前に架かっとった小さな石橋の下に小豆とぎがいて、薄暗くなってからそこを通りかかると、シャラッ、シャラッ、シャラッと小豆をとぐ音がする、と聞いとりました。今は小川も埋められ、橋も無しになりました。

え?どげな婆さんだか?て。それは聞いとりませんが、他所の話では、顔は青白うて髪はざんばらの長い自髪で、「小豆とぎましょか。 人取って食いましょか。 ショキ、ショキ」とか「小豆三合に米三合、合わせて六合。ザク、ザク。小豆煮えたかつまんでみょ」小豆が煮えとらなんだら、小豆の代わりに子どもを取って血を吸う、というて恐とがられとるそうですと。
祭りの夜は、身を清めて慎んでおらんといけんのに、神さんに供える御飯を炊く頃まで、外で遊びほうけておってはいけん、ていう戒めから出た伝説でしょうなあ。
小豆とぎは市内では、元町サンロードにある道笑町郵便局の裏通りが昔は外堀でして、そこの竹薮の中にも、福市の安養寺近くの竹薮の中にもおられたそうですよ。


白山神社の入口100メートル手前にある石灯ろうのところに、以前石橋が架かっていた。

平成9年10月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。