美吉の猿土手

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美吉の猿土手
 美吉の猿土手

梅雨の季節になりました。今年は春先から雨で花見もろくすっぽできなんだが、雨の多い年でしょうかなあ。稲は水が無うては育たんから、雨は降ってもらわにゃあ困るが、だいうて降り過ぎてもらっても困る。昔は、降り過ぎて川や堤の土手がよう切れて、町が水浸しになったもんです。
美吉の辺もな、なんぼ土手を築いてもちょっと雨が降りゃあすぐ切れて、田んぼに砂が入って、村の人はみんな困っとりなはったそうです。

その年も梅雨の水で土手が抜けました。村人は集まって崩れ落ちた土手をのぞき込みながら、善後策を話し合いましたが名案はでません。と、中の一人が「なんと年寄りに聞いた話だが…」とおずおずと話し出したそうです。「米子のお城を築く時にも、山が崩れていけんので人柱を立てたら、それきり崩れんようになって城ができたそうだが、なんとこの土手にも人柱を立てたらどげなもんだかなあ」
困り切っとった村人は、この話を聞いて気持ちを動かしました。だども、この話には人の命がかかっとる。それじゃあ誰を人柱にすうか、ていう事になあと、なかなか決められるもんじゃあない。さんざん話し合ったあげく、「それじゃあ明日の朝いちばんにこの土手の前を通った者を人柱にしよう」て、いうことになったそうですわい。
次の日の朝、村人は土手の前で人柱がやって来るのを待っとりました。そげな(きょう)とい話が出来とうとは露知らんで、いちばんに朝もやを突いてやって来たのは、何と肩に猿を乗せた猿回し。知っとりなさるかや猿回しいうもんを…。そうそう反省する猿で有名になったあの手の旅芸人ですわい。こな衆がやって来た。
村人はなんにも言わずに、いきなり猿回しを捕まえて、猿を肩に乗せたまんま土手に埋めてしまっただって。
そうからは、なんぼ大雨が降っても、土手は切れませんだと。それでその土手を「猿土手」という。そういう話を聞いとります。

え?人柱なんか本当は立てていない? ああよかった。


猿土手は美吉と目久美町の境(米子鉄道学園跡裏側)を通る。加茂川には「猿土手橋」が架かる

平成9年6月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

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  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。