『米子』の地名の起源

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『米子』の地名の起源

『米子』の地名の起源

昔、東京の金持ちが山陰旅行をしたそうで。 名前は知りませんぜ。 その人が米子に来たら、水はうまいし、温泉はあるし、別ぴんさんは多いし、ように気に入ってしまって予定以上に泊まって、次に松江に行った。 ここもまた気に入って。 そこで東京の奥さんに手紙を出されたそうですわ。 「拝啓…米子も松江も気に入ったので帰りは一週間遅れる」すると、すぐさま返事が来て、「そんなに米子さんや松江さんが気に入ったのなら、そちらでどうぞ。 私は実家に帰ります。あなかしこ」
初めて『米子』と見れば、ほんに女子の名前と勘違いされても仕方ありませんわなあ。

『米子』の地名の起こりは次のように聞いとりますがなあ。

…昔むかしのこと。 粟嶋神社のある村に、一組の長者夫婦が居りなったそうで。
ある時、その長者夫婦は今の加茂町の賀茂神社の隣に引っ越してきなさった。 何しろ長者だけえ金はうなる程あるし、なに不自由ない暮らしだったけども、たった一つの悩みは跡継ぎの子がないこと。
長者夫婦は毎朝晩、隣の賀茂さんに行って、入口の井戸で身を清めてから「どうぞや、いい子が授かりますように」と拝んでいたそうな。
が、なんぼ拝んでもお陰はないし、年は寄るし、こりゃいけんわ。 あきらめかけていた時、何と長者が八十八になった時、奥さん(てっても、もうしわくちゃばあさんだけどなあ)に子が出来た。 長者は躍り上がって喜んで、『伯耆』と名を付けたそうな。 その子孫も栄えたそうですと。
八十八の子が出来た。 まあ縁起がいいことだ。 というので、それまで『加茂の里』と言っていたのを『八十八の子・米子』と言うようになったですと…

その長者夫婦が口をすすぎ、飲んだ賀茂さんの水は、米子の名水の一つでしただで。 ほんにうまい水で、上水道がまだ引かれてなかった頃には、この井戸の水をおけにくんで、大八車に乗せて売り歩く人もおったそうですよ。 今は道の拡張工事にひっかかっておるようですわ。


写真:道路拡張のため移転工事中の賀茂神社(井戸は左下)

平成9年5月号掲載

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掲載日:2011年3月18日

【利用上の注意】

掲載している昔話・伝説・言い伝えなどの民話は、地元の古老から聞いた話や地元での伝承話、また、それらが掲載された書籍などからの情報を載せているものですので、活用する際は次の点にご注意ください。

  • 民話は、ある程度の史実が背景にあったとしても、それが人々の想像の中で改変され、また、伝承の過程でさまざまな変化を遂げていきます。そのため、史実とは異なる内容、名称等が使用されている場合や学術的な裏付けがないものもあります。

  • 捉えかたにより、記載されている年号や年代、月日、読みかたなど、事実と異なる可能性があります。

  • 「過去の経験を後世に伝えたい先人の強い思い」として読みとるなど、「地域で語り継がれている事実」に着目することが必要となります。

  • 民話は、すべてが史実ではありませんが、地域にとってたいせつなものが含まれていると考えられます。

  • 筆者は、執筆に関しては、市内各地域をまんべんなく入れること(ただし、合併前のものなので淀江町域の話はありません。)、あまり血なまぐさい話は避けること、故人で忘れられている偉人を発掘し民話に託して語ること、などを心掛けて編集されています。