米子市には、昔から受けつがれてきたいろんな芸能文化があるよ。
米子盆踊り

米子市の冨士見町のあたりで江戸時代のころからお盆をむかえるたびに、先祖の供養として念仏踊りが夜ふけまでおどられていたんだよ。この踊りは「冨士見盆踊り」とよばれ、300年以上前からつたえられているとも言われているよ。
1967年(昭和42年)、市民に知ってもらって、これからも受けつがれるように「米子盆踊り」と名前を変えたんだ。今では、「たいしょう踊り」「こだいじ踊り」「さいご踊り」「さんこ踊り」という4つの踊りがあって、毎年8月14日の夜に米子市公会堂で開かれる大会には、たくさんの人が参加しているんだよ。
淀江さんこ節

<写真>銭太鼓

<写真>傘踊り

<写真>壁塗り踊り
淀江さんこ節は、今から300年以上前の元禄時代(江戸時代の一部)に始まったといわれているよ。そのころの淀江のまちは、大火事になってしまって「焼街」とよばれていたんだけど、幕末から明治時代にかけては港町としてさかえていたよ。それで多くの船が出入りするにつれて、淀江で、もともと歌われていた歌と各地の歌とが、とけ合って今のような「淀江さんこ節」が、形づくられていったんだ。
歌声にあわせて「銭太鼓」「傘踊り」「壁塗り踊り」がおこなわれるよ。
たたくたびに、銭の音がなる「銭太鼓」。
しゃんしゃんという鈴の音とともに傘が空をまう「傘踊り」。
左官の動きでおもしろくおどる「壁塗り踊り」。
さいきんでは、淀江町内で、淀江さんこ節に取り組む団体もふえているんだ。
米子がいな万灯

米子がいな万灯は、1986年(昭和61年)に「米子の祭に元気がほしい。」
そんな思いで、現在の万灯振興会 三代目 鶴田会長のお父さんたちが立ち上げたんだ。
この万灯は、東北地方の秋田竿燈を親として、基本の形は同じ。でも、提灯のならびかたが米子駅前の米のモニュメントと米粒の形をイメージしてあるんだ。
米子がいな万灯は、「がいな万灯」「おんな万灯」「子ども万灯」の三部門があって、それぞれ提灯の付いている数がちがって、46張・28張・20張、重さは40キログラム・25キログラム・20キログラムと重いんだ。
万灯がみれるのは、米子がいな祭の第一日目の夜、米子駅前通りで48基の万灯が連なって、手のひら・額・顎・肩・腰に乗せ、妙技を披露する。そりゃあ、大きな万灯が天高くあがってかっこいいんだ。
今は、大人が36チーム、子どもが7チームあって、子どもたちも大人の技に負けないような、すご技の子どもたちもたくさんいるよ。
子ども万灯のチーム…
永江子ども万灯、成実子ども万灯、五千石子ども万灯、尚徳子ども万灯、車尾子ども万灯、淀江子ども万灯、啓成子ども万灯
米子がいな太鼓

米子がいな太鼓は、1974年(昭和49年)の第1回米子がいな祭をきっかけに、「米子にも全国にほこれる太鼓を」という若者たちの熱意によって誕生したんだ。「全てにおいて雄大であれ」という思いをこめて「がいな太鼓」と名づけられたんだよ。
米子がいな太鼓は、種類のちがう太鼓や楽器のいろいろな音色とリズムが重なり合ったオーケストラのような太鼓なんだ。武道のようなキレのある所作も特徴で、太鼓を打つすがたは躍動感にあふれていて、かっこいいんだ。
11人からはじまった米子がいな太鼓だけど、今は大人の連(チーム)のほかにも、保育園児の連、小学生や中学生、高校生の連もあって、米子がいな祭や地域のお祭りなどで、勇壮な演奏を披露しているよ。祭りには欠かせない、ふるさと米子の響きとして、市民に親しまれているんだ。
小学生の連も6チームあって、太鼓が大好きな子どもたちが元気いっぱいでがんばっているよ。
小学生の連…
就将子供連、福米東子供連、啓成子供連、尚徳子供連、響子供連、鼓若子供連
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